2012年4月29日日曜日

すずめ は すずめ〜! - ■・・・花と滝と、つれづれなるままに・・・■


あの寒さ厳しかった日々・・・。
木に集まって来る雀たち、寒そうでふっくらとしていました〜!
(これからまた勝手しますのでどうぞスルーしてください〜。)

「木に集まって来る」・・・、
この「集」という字・・・。。。

2012年4月28日土曜日

殺人博物館〜チャールズ・ホイットマン


 本名チャールズ・ジョセフ・ホイットマンは1941年6月24日、チャールズ・アドルフ・ホイットマンとマーガレットの第一子として生まれた。8回の引っ越しを経て、1947年初夏にフロリダ州レイクワースに落ち着く。その頃からピアノを習っていた彼はかなりの腕前だったという。11歳でボーイスカウトに入り、翌年には世界最年少のイーグルスカウトに昇格。高校は72人中7番の成績で卒業している。端からは非の打ち所のない人生に思える。
 ところが、彼の家庭には問題があった。彼自身が既に手紙の中で告白している通り、父親が暴力を振るうのだ。妻のみならず、チャーリーも殴られて育った。彼がピアノを習ったのも、ボーイスカウトや学校で優秀な成績を 収めたのも、すべて父親に強制されたからなのだ。孤児院で育ち、裸一貫で配管工としての腕を磨き、今や商工会議所の会長にまで出生した父親は、息子たちに多くを求め過ぎた。彼は新聞のインタビューにこう答えている。

「たしかにしつけには厳しかった。子供には3人とも『サー』をつけて返事させた。別に自分がやったことを後悔していない。尻をひっぱたくのが悪いとは思わない。もっと懲らしめておけばよかったとさえ思っている。息子たちは3人が3人とも、甘やかされて性根が腐ってたんだ。欲しい物は何でも買ってあげたからね。私は金持ちではないが、それでもかなりの稼ぎはあったんだ」

 この人は何かが歪んでいると思うのは私だけではない筈だ。
 ホイットマンに射撃を教えたのは海兵隊で� �ない。この父親が教えたのだ。父親がスパルタ式で教えたために、彼は射撃の名手になったのである。
 ホイットマンが海兵隊に入ったのも父親が原因だった。18歳の時にしこたま酒を飲んで帰宅した彼は、父親にこっ酷く怒鳴られて、ボコボコにされた上にプールに投げ込まれた。危うく溺死するところだったという。このままでは殺される。そう思った彼はジョージア工科大学に進学する夢を捨てて、海兵隊に志願したのである。

2012年4月26日木曜日

ナポリの休暇を取って、フロリダ州は、アメリカのベスト野生動物とビーチのいくつかを楽しむ | 無料の記事- MSリーダー


アメリカへの休暇は、あなたは色々な事を体験できるようにすることができます野生動物とのビーチは、優先順位のリストの一番上にある場合は、ナポリ、フロリダ州よりも参照してくださいには良い場所がある。

ナポリの休日はあなたに、そこから自然荒野のフロリダ州の美しいエリアを散策されるには理想的な拠点を与えるお任せください! 市はエバ​​ーグレーズからわずか数マイル、エキゾチックな生き物の多種多様な家であるその他の剰余金の数です。

フロリダ州、種の数が同じ世界でも数少ない場所がある。 世界的に有名なワニに加えて、ヘビ、エキゾチックな鳥、ヒョウや昆虫を見つけることになります。

フロリダに休暇中に大自然を楽しむための最善の方法の一つは、エバーグレーズを介してボートに乗ることです。 予約経験豊富なガイドと一緒に、彼らはあなたが最も美しいエリアを参照してください完全な安全性の野生動物に近づくようになります。

2012年4月25日水曜日

これからの30年を考える7つのメガトレンド | Learn By Doing


2012年は自分の中で、これからの30年を生きる最初の年としています。

尊敬する中島明さんも新年のブログでそのようなことを書かれていたので、ここで一度30年後の世界がどのようになるのかまとめてみたい。

これから30年の7つのメガトレンド

1.加速する人口増加-2050年に人口90億人に-
2.枯渇する自然資源 -現在の生活スタイルを続けるには地球2個分の資源が必要-
3.高齢化する社会
4.リアルとネットの融合 -不可欠なインターネット-
5.個人、市民、NPOの台頭 –Power to the people, power of the crowd-
6.変わる組織 ピラミッドからネットワーク型へ
7.Happyが中心の産業の進化 –マーケットの成熟とサービスの進化-

7つのメガトレンドとして、最初の3つは信頼できるソースの予測を元に、後の4つは書籍や自分の経験からまとめていきます。最初の3つは基本的でつまらないかもしれないので、その場合は後半の4つをどうぞご覧ください。

1.加速する人口増加 2050年に人口90億人に、影響力を増す中国、インド、アフリカ

 

これからの世界を語る時に、一番大事なポイントが人口の増加です。国連がまとめた資料によると、世界の人口は2011年10月31日に70億人になり、2050年には90億人になると予測されています。 この情報は世界各国の政策、大企業の経営予測に反映されている、現段階でこれからを予測するのに重要かつ最も信頼できる情報なので、まずこのポイントは覚えておいてください。図は国連のHPより

図でも分かるとおり、産業革命以降爆発的な人口の増加が続いています。今後、特に人口が増える地域は、アジア(特に中国、インド)、アフリカ地域です。

 人口が増えるとGDPは増える傾向にあるので、人口増加と比例して世界の中で中国、インド、アフリカの影響力が大きくなり、人口が減少していく先進国の影響が相対的に小さくなることは容易に予測できます。GDPの将来予測にはさまざまなものがあるのですが、信頼されるソースで最近のものがなかったのでこの辺でとめておきましょう。

国連は人口増加についての問題で7つあげていますが、日本人にとって世界人口が増えることでの特に重要な問題は、

1.地球環境の保護、資源の枯渇
2.高齢化の社会的な影響
3.都市化

があると考えています。

 1,2についてはこれが環境問題、社会問題になるので次のトレンドとして書いていきます。3の都市化については以前のブログで一部書いているのではそちらを参照下さい。

 人口増の問題やそれに対する解決策、新しい産業の可能性はさまざまなものがあります。人口増はこれからの世界を考える基本となるので、興味ある方は World Population prospects:The 2010 revision,日本語で概要のまとまったこちらの世界人口白書がおすすめです。

2.枯渇する自然資源 -2050年 現在の生活スタイルを続けるには地球2個分の資源が必要-

人口増加により増える食料、水、エネルギーの消費とこれまでの経済発展を優先した自然破壊は地球に大きな負担をもたらしています。

WWFのLiving Planet report 2010では、2050年までに人々が今の生活を続けた場合、地球2個分の自然資源が必要になるといわれています。当たり前ですが、地球は1つしかありません。それが2つ分必要になるほど、人口増加とこれまでの環境破壊は大きな影響であり、解決しないと世界中で資源、特に食料、水、エネルギーが枯渇します。食糧問題、水問題、エネルギー問題が声高にさけばれるのには、こういった背景があるのです。

簡単に関係するデータをまとめて紹介します

ICLEI Japan: リオ+20まで64日:都市を議題に乗せるために(2012.4.18)


 イクレイはメジャーグループの一つ、自治体グループの共同パートナーとして、ニューヨークで開催されたリオ+20第1回成果文書交渉会合(3月19-27日)に参加した。

リオ+20の成果文書の協議はどのように進んでいるのか?

 国連加盟国は、提案されている成果文書の段落ごとに熱心に議論を行っている。この文書が協議される中で、都市、都市問題、自治体に関する部分も多くの修正が加えられた。多くの代表団が、持続可能な開発には、都市や自治体が重要な役割を担うことに同意している。イクレイは、他の自治体連合とともに、都市や自治体が関われるよう、そして彼らの抱える課題についての声がきちんと聞かれ、反映されるよう働きかけている。

2012年4月24日火曜日

ICELANDia アイスランドブログ:Pops


 今回のICELANDiaブログは、新作『Biophilia』の発表に伴いアイスランドで行われたビョークのインタビューをスペシャルでお届けします!

The Reykjavik Grapevine  
BJÖRK WILL TEACH YOU!(記事の英語原文)
  
  Interviewed by Haukur S. Magnússon
  Photo provided by The Reykjavik Grapevine
  Japanese translation by Yuka Ogura

   この記事はアイスランドの英語情報誌The Reykjavik Grapevineに掲載されたもので、 ICELANDiaは許可を得て翻訳・掲載しています。英語記事の著作権はGrapevineに、日本語訳は小倉悠加にあります。無断掲載、引用はお控え下さい。


ビョークが教えます!


 率直に言おう。ビョーク・グズムンズドッティルは天才であり、イノベーターであり、先駆者だ。彼女の最新作『Biophilia』は類い希なアルバムで、少なくとも過去10年の作品の中で最高の出来だ。アプリ、グラフィック、コンセプト、そして音楽学校(!)と、インスピレーションあふれる革新的な方法で未来を垣間見せる作品を前にすると、他のあらゆるアーティストがマジで霞んでしまう。読者が興味あるのはこんな前書きよりも彼女の言葉だろうから、前置きはこのくらいで終わりにしよう。

 ここ数日ずっと『Biophilia』を聴いていてきました。そして先ほどあなたのアシスタントからアプリ、教育的側面、コンセプトについての説明を受けて、驚きました。これはいったい何なのか?あなたは何をしたのか?いったいぜん たい何がどうなってるのか?としか尋ねようがない。

 このプロジェクトの最もシンプルに説明するには、タッチスクリーンについてを話すのがいいと思う。アルバムを作るといつも、自分が何をしているのか定かではなくて、完成後にゆっくりと座って、そこに少しでも意味を見つけようとするの。今回もマンチェスターのライブの後でかなりのインタビューをこなすまで、このアルバムのアイデアやコンセプトをシンプルに適切に説明できなかった。その鍵となるポイントがタッチスクリーン。

 「Volta」ツアーではリアクタブルやLemurという機材としてタッチスクリーンを使用した。2008年に新しいプロジェクトを始めた時、音楽を書く道具としてそれを使い続けたいと思った。「こういった機材でどう音楽を書けばい� �のか?」という疑問は、私が自分の曲をどのように構築するかをマッピングすることにつながり、それは小学校で音楽を学んでいた時代に私をタイムスリップさせた。音楽教育の何が好きで、何が嫌いだったかということ。そして音楽を書くことについてをどう考えていたか、とか。それが私の頭の中のプロセスだった。そしてタッチスクリーンが革命的なことをもたらしてくれた。

 タッチスクリーンはコンピューターとの関わりに変化をもたらしていますね・・・

 そう、そういうこと。このプロジェクトを一言で現すとそういうこと。私が音楽理論をどう考え、どういった手順で曲を書くのか、それをいかに新しいプロセスに変換できるかをマッピングした。というのも、私は吟遊詩人のようにピアノやギターで 曲を書くことができない(ため息)。だから「私がもしもフォーク・シンガーのように曲を書くとしたら、私にとってのアコースティック・ギターに相当する楽器には、何があればいいのか?タッチスクリーンに何を入れればいいのか?」というようなことを考えた。すると私はすぐに自然とその構造を考えて、そこに入り混んでいった・・・。

2012年4月22日日曜日

Km10070


ProMEDメール2011-04-09の感染症に関連した情報を配信します。

1.訃報。バルーク・ブランバーグ。B型肝炎の発見者
2.手足口病。ベトナム。子供の数はここ2週間で2倍に
3.kmowelesiマラリア。ボルネオ。猿から人間の感染よりも野猿同士が感染
4.発表。 から http://web.oie.int に変える
5.サルモネラ感染症。米国。ペストリー。患者は66人
6.サルモネラ感染症。コンゴツメガエルで発症。患者217人
7.エルジニア症。レタス。ノルウェー。患者20人
8.鳥インフル。韓国・慶尚北道。養鶏場で発見
9.ラクダとクジャク。不明致命的疾患。パキスタン・シンド州
10.不明の消耗性疾患。中国。HIV恐怖症はHIV疑いになったのでは
11.亜硝酸。中国甘粛省。汚染ミルクで死亡3人と患者35人
12.馬のロスリバー/マレー渓谷脳炎。2州で馬128頭は死亡
13.ハンタウイルス、チリと米国

1.訃報。バルーク・ブランバーグ。B型肝炎の発見者

PRO> Obituary: Baruch S. Blumberg

訃報。バルーク・ブランバーグ。4/6。NYタイムズ。B型肝炎を発見。1925年-2011年。

2.手足口病。ベトナム。子供の数はここ2週間で2倍に

PRO/EDR> Hand, foot & mouth disease - Viet Nam: (HCM)

手足口病。ベトナム。ホーチミン市。4/9。ASIAONE健康。
◇手足口病集団発生はベトナムで悪化。
 手足口病(HFMD)で病院に来るホーチミン(HCM)市の子供はここ2週間で着実に増えていると医師たち。小児科病院No.1感染性神経学疾患病棟代表は毎日入院してくる子供はごく最近の平均20床だったが二倍近くになった。[11/4/7]木曜では入院は35人。5人は重篤で人工呼吸器が必要だ。子供1人が遅く入院して、数日前に重症合併症で死亡した。
 小児科病院No.2は木曜に子供27人が入院した。市予防医学センターの副代表はここ2週間で1日あたり平均30床から80床までに増えたという。今年はこれまで病気になった子供は600人…多くは市に所属し…3人は死んだという。
 通常、年の早い時期に死亡はなく、医師たちは心配す る。
 普通、この疾患は10月から12月までにピークに達するが、3月から5月の期間でも多くの症例がある。
 HFM疾患ワクチンがなく、最上の防止方法は環境、食物、飲物を衛生的にしておくこと。
 地元予防医学センターは、手足口病と他の感染症の予防措置を強化し、特に学校で予防措置の宣伝を行った。教育訓練省はHFMや他の感染症の予防措置を決めるよう幼稚園に命令した。

3.kmowelesiマラリア。ボルネオ。猿から人間の感染よりも野猿同士が感染

2012年4月21日土曜日

まとめて知識検索 - 教えて!goo


教えて!gooの検索結果が見つからなかったため、まとめて知識検索に移動しました

... サンフランシスコ に格安で泊まろう!カカクコムグループのフォートラベルではジ オパール-サンフランシスコ を割引予約できる予約サイトを徹底比較!サンフランシスコ で65位のジ オパール-サンフランシスコ に関するクチコミ情報や写真などの詳しい情報 が満載です。 ... のデラックスシティツアー グレイラインのシティツアー 3.14 距離:1.0km ...

オパール/ (大崎/定食・食堂)の店舗情報は食べログでチェック!口コミや ... オパール. ジャンル. 定食・食堂. TEL. 03-3493-0167. ※お問い合わせの際は「"食べログ"を見た」 とお伝えいただければ幸いです。 住所 ... アヒリヤ ゲートシティ大崎店 (70). (大崎、 ...

2012年4月19日木曜日

メキシコ麻薬戦争 列伝


メキシコ麻薬戦争 列伝

日本ではあまり報道されていませんが、メキシコの麻薬戦争はすさまじいものです。毎日人が殺されています。一人、二人の死者では記事にもなりません。殺された人が重要人物でないかぎり、最低でも二桁の死者が出ないとメディアには登場しません。

メキシコ麻薬戦争の犠牲者は2010年3月末現在で22,743人とされています。行方不明者や発見されていない死体のことを考えると、これよりはるかに多くの人が犠牲となっていると思われます。死者数の推移を年毎に見ると、06年62人、07年2,477人、08年6,290人、09年7,724人とうなぎのぼりに増加しており、今年2010年も最初の3ヶ月間だけで3,365人と1万人を超える勢いです。毎日30人が麻薬がらみの犯罪で殺されている計算です。

武器がすごい。ナイフやピストルといった古典的な凶器ではありません。最低でもAK47いわゆるカラシニコフ、機関銃からバズーカ、対空ミサイルまで飛び出します。最近では自動車爆弾まで登場しています。シュワルツネッガーやランボーの世界を地で行っています。

殺され方も尋常ではありません。殺す前の拷問は当たり前、殺した後はほぼ例外なく首を切断し、ばらばらにして橋げたにつるしたり、教会前の広場など人目につくところに投げ捨てます。大量のときはまとめて廃坑に投げ込んだり、強酸液プールで溶かしたりとひどいものです。

こういうニュースを聞いたり見たりするたびに、いったいこれはどうなっているんだ、誰と誰が、何のために闘っているんだと思うのですが、どうもその辺の報道がさっぱり見えてきません。

麻薬戦争は基本的にはカルテル同士の勢力争いです。それは麻薬の生産・流通・販売のルートを考えれば明らかなことです。生産は南米、消費は米国国内です。メキシコの役割は流通に過ぎません。しかし米国国境という高い壁があるために、その針の穴をうがつ作業が死活的重要性を帯びてくるのです。

麻薬の流通経路は、何十億ドルという富をもたらす「絹の道」であり、メキシコの国境沿いのフアレス、ティフアナ、マタモロスなどの町は天山山脈やタクラマカン砂漠などシルクロードの最大の難所を前にした中継基地なのです。たとえばサマルカンドであり、アルマアタです。これらの町を奪うことは、絹の道全体を支配することにつながるのです。

しかしそれだけで、メキシコ麻薬戦争が世界の耳目を集めるほどの規模に拡大していることを説明することはできません。その背景として、@数十億ドルという麻薬取引額とその使い先、Aコカイン原産地の南米と、メキシコ、そして最大の消費先である米国との国際関係、Bメキシコ政界の最深部での利権をめぐる抗争、さらにはCNAFTA下でのメキシコ市民経済の崩壊と貧困化、D数百万といわれる米国内の合法・非合法の移民社会などが立体的に絡まっている、という構図を理解しておかなければなりません。

上記のことを念頭に置きながら、麻薬カルテルの変貌を、とくにこの20年余りの相互関係の変化を列伝風にたどってみたいと思います。

 

各組織の紹介は主に英語版Wikipediaによっています。なにぶんにも闇の世界の話ですので、不確かだったり、後から判明したりということが多いようです。Wikiですら、事項ごとに記載が矛盾したりすることがあります。

 

第一章 ミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルド

 メキシコ麻薬カルテルのゴッドファーザー

 

@メキシコにおける麻薬ビジネスの幕開け

麻薬ビジネスの幕開けは1960年代後半のことである。ベトナム戦争が泥沼化し、兵士はマリフアナやLSDなどの麻薬に犯されるようになった。米国内にも麻薬が浸透し始めた。従来の公序良俗が揺らぎ始め、ヒッピーなどの風俗がマリフアナの流行と一体化した。かくして米国内に巨大な麻薬需要が生まれた。

メキシコにおける麻薬ビジネスもこの頃から大規模なものとなった。その創始者と目されるのがペドロ・アビレス・ペレス(Pedro Avilés Pérez)である。アビレス・ペレスは、マリフアナを売り物にシナロア州の麻薬ボスとして頭角を現した。米国に麻薬を密輸するために航空機を使用し始めたのも彼である。

ペドロ・アビレスは78年9月、連邦警察により射殺された。その後、組織はエルネスト・フォンセカ・カリージョに引き継がれた。ラファエル・カロはマリフアナとケシの栽培を始めた。

アビレス・ペレスが大規模麻薬業者の最初の世代であるとするならば、第二世代に当たるのがミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルド、フォンセカ、ラファエル・カロ・キンテロである。これら後の大ボスたちは、アビレス・ペレスの組織で働く中で麻薬取引についてのすべてを学んだと口を揃えている。

 

A頭角を現したガジャルド

この第二世代の3人の中から頭角を現したのがミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルド(Miguel Ángel Félix Gallardo)である。ガジャルドはメキシコ麻薬カルテルのゴッドファーザーと称されている。

 

 

ガジャルドはもともとシナロア州警察の警官で州知事のボディーガードも勤めたが、みずから麻薬取引に手を染めるようになった。メキシコでは当たり前のコースである。

最初はマリファナとアヘンを米国へ密輸することを主要なビジネスとしていたが、まもなくコロンビアのコカイン・カルテルと関係を持つようになり、これがガジャルド・ファミリーの急成長をもたらすことになる。

1980年代はじめ、ガジャルドはメデジン・カルテルの帝王パブロ・エスコバルと知己を得た。ガジャルドはメキシコ経由の麻薬回廊を形成すべくエスコバルと交渉し、メデジン・カルテルとの間に太いパイプを作り上げた。

供給源を握ったガジャルドらは、米国国境につながる回廊(コリドール)地帯の、全ての違法な麻薬取引を仕切るようになった。そしてメキシコのすべての麻薬業者の支配者となった。いわばメデジン・カルテルのメキシコ代理店の総支配人となったわけである。当時はコロンビアのカルテルとメキシコの麻薬組織の間には、それだけの力の差があったことになる。

当時のコカインのメイン・ストリームは、カリブ海を経由しフロリダから東海岸へと展開して海上ルートだった。しかしこの海上ルートへの取締りが厳しくなるに連れて、メキシコ・ルートが見直されるようになった。メキシコのカルテルは地続きの強みを生かしてカリフォルニアやテキサスに進出して行った。

メキシコの麻薬密売組織は、すでに85年には、米国に入るヘロインの4割,コカインの3割を取り扱うようになるまでに至った。こうなるとただの代理店ではない。

 

BDEA捜査官殺害事件

日の出の勢いのカルテルを追った最初の試練がDEA特別捜査官エンリケ・カマレナ・サラザールの活動だった。

メキシコからのコカイン流入に神経を尖らせた米国は、メキシコの政府や司法当局に対して不信感を抱いた。麻薬取締局(DEA)がメキシコ領内に入り独自の調査活動を行うようになった。寛大なメキシコ当局に較べると、米国の捜査当局は峻烈だった。

機密漏えいを恐れたDEAは当時、メキシコ政府の許可なしで独自の捜査を行なっていた。84年、グアダラハラに駐在するカマレナの情報に基づいて、大々的な麻薬摘発作戦が実施された。

450人のメキシコ兵がヘリで出動し、大規模なマリフアナ農場()を破壊する。この農場だけで年商80億ドルのマリフアナが生産されていた。カマレナの名は全米に知れ渡るようになった。

それはメキシコ国内でのカルテルとDEAとの摩擦を激化させた。カルテルは躍起になって捜査の進展を抑えた。市警、州警、連邦警察、さらに司法当局まで巻き込んだ反DEA工作が展開された。

警察はカルテルに恩義を感じたのか、DEAとの闘いを自ら買って出た。86年8月にはハリスコ州警察がDEAの秘密捜査員を逮捕し拷問にかけた。このときは米国の抗議により警官11人が一時停職処分を受けている。

こうした雰囲気の中で事件は発生した。85年2月7日、カロの命令によりカマレナ誘拐作戦が実行された。車で移動中のカマレナは、運転手もろとも拘束された。カマレナは拷問の上殺害され、1ヵ月後に遺棄死体が発見された。これはいわばカルテルの闘争宣言であった。

アメリカはこの事件に憤激した。メキシコ駐在の米大使は、「米国に入るヘロインの4割,コカインの三割がメキシコ国内で製造ないし経由・輸入されたもの」と暴露した。

連邦警察もさすがに逃げ切れなくなった。85年、カロとフォンセカがDEA捜査官殺害容疑で逮捕された。どういうわけかガジャルドはこのとき逮捕をまぬがれた。そしてカルテルを唯一仕切るボスになっていった。

ガジャルドが「帝王」となる経過については異説がある。アビレス・ペレスを引き継いだこの組織は、当初よりグアダラハラ・カルテルを名乗っていた。組長はエルネスト・フォンセカ・カリージョで、ナンバーツーがカロ、ガジャルドは上の二人がDEA捜査官誘拐・殺害事件で逮捕された結果、繰り上げ当選しただけたとしている。

 

Bカルテルの分割支配

1987年に、ガジャルドは一家の幹部を引き連れ、シナロアからメキシコ第二の都市グアダラハラに進出し本拠を構えた。今日ではこの最初のカルテルをグアダラハラ・カルテルと呼んでいる。

ガジャルドはこれまで独裁的に仕切ってきた麻薬取引ビジネスを分割することに決めた。巨大化した非合法ビジネスはそれ自体が危険である。いつ手入れを食らっても不思議はない。小分けしたほうが取締りを受けても被害が少ないと踏んだからである。もちろん、経営効率から考えても分社化したほうが効率的であろう。

ガジャルドは「ゴッド・ファーザー」よろしく、一切を取り仕切った。保養地アカプルコの一軒の家に全国の麻薬組織の最高幹部が招集された。彼は各組織のシマと縄張りを指示した。

このアカプルコ会議がいつ行われたのかは定かでない。もし分かれば、その時点で追補したい。

ガジャルドが分割したカルテルを託したのは、当時あまり有名になっておらず、DEAにも知られていない連中だった。

ティファナ回廊は、アレジャーノ・フェリクス兄弟へゆだねられた。シウダ・ファレス回廊は、カリージョ・フエンテス一家が任された。ラファエル・カロの弟ミゲル・カロ・キンテロは、ソノーラ回廊地帯を運営する。ソノラ・カルテルの影響力は01年、ミゲルの逮捕により、ほぼ消失する

マタモロス(タマウリパス回廊地帯)の権利はそっくりファン・ガルシア・アブレゴにゆだねられた。この地帯は後にガルフ・カルテルの支配圏となった。

当時無名だったホアキン・グスマン・ロエラ(エル・チャポ)とイシマエル・サンバーダ・ガルシアは、元の本家である太平洋の海岸活動を引き継ぐこととなった。これが本家シナロア・カルテルとなっていく。(一説ではサンバダがシナロアの権益を"奪い取った"と記載されている)

 

Cカルテルと警察の癒着

こうしてカルテルの名にふさわしい大犯罪組織のトップに立ったフェリクス・ガジャルドだが、国家・司法権力に対しては対決姿勢をとることなく、一貫して低姿勢を保った。政治家は金と引き換えに彼に庇護を与えた。

カルテルは麻薬取締りに責任を持つ警察組織を味方につけるべく浸透を図った。例えばハリスコ州の麻薬密売組織のボスは,州の警察官ほぼ全員に賄賂を贈っていたと暴露している.

メキシコ・シティー南方に位置し、後にベルトラン・レイバのフランチャイズとなるモレロス州はカルテルと公安権力との癒着の典型で、州知事が州警察官全員を収賄の罪で解雇するという状況にまで至っている.

モレロス州の腐敗は度し難いレベルまで進んでいた。2004年にはモレロス州警察長官ら幹部がカルテルによる誘拐・車両強盗などを隠蔽・保護していた容疑で逮捕された。さらに捜査を進めた連邦捜査局は、モレロス州の副検事長を麻薬組織との関連の疑いで逮捕した。捜査が進むにつれ容疑は州知事に波及した。エストラーダ知事が麻薬絡みの殺人事件に関与したことを示唆する録音テープが公開された。州議会は全員会議を開きエストラーダ知事を罷免した。

 

Dガジャルド逮捕と第一次分裂

フェリクス・ガジャルドは、まだ「ドンの中のドン」としてすべての組織を統率するつもりだった。しかし1989年4月8日、彼はDEA捜査官殺害の共謀の罪で、多くの幹部たちとともに逮捕されてしまった。しかし刑務所の中にあっても、彼はメキシコの主要麻薬業者の一人としての地位を保ち続けた。携帯電話によって彼の組織を維持したのである。

政府はガジャルドが獄中からカルテルを支配していることを知り、新たな対策を迫られた。やがて彼のために最大警備の刑務所が新設され、ガジャルドはそこに移送されてしまった。もはや獄中からの指示は不可能となった。

残されたグアダラハラ・カルテルの幹部たちは金銭欲と権力欲をあらわにし、勢力拡大を狙って互いに争うようになった。回廊地帯を担うそれぞれの地域グループは、自らの供給源や米国内の売りさばき網を確立し、独立した麻薬カルテルとしての体裁を整えるようになった。

ここからがメキシコ麻薬戦争の始まりである。

 

第二章 ティフアナ・カルテルの巻

@アレジャノ・フェリクス兄弟

最初の分裂はティフアナのアレジャノ・フェリクスによってもたらされた。7人の兄弟と4人の姉妹からなるアレジャノ・フェリクスはガジャルドの甥にあたる。アカプルコ会議では、アレジャノ・フェリクスは4つの回廊の中で当時もっとも収益の上がるティフアナ回廊の権利を与えられた。

ティフアナは西海岸の国境の町、北側のカリフォルニア州サンディエゴとの間にはさしたる障害もなく無数の道路網が発達している。国境の北側にも多くのメキシコ人が暮らしており、スペイン語がそのまま通じる世界である。アレジャノ・フェリクスの商売は大いに利益を上げた。

ガジャルドは、ゆくゆくはアレジャノ・フェリクスに跡目を継がせたいと考えていた節がある。1992年、獄中にはあったが未だ指揮権を失っていなかったガジャルドは、ティフアナで稼いでいた甥たちにハリスコ州都グアダハラのシマを与えようとした。

 

Aエル・ゲーロの巻き返し

 

Héctor Luis El Güero Palma Salazar

 

しかし当時グアダラハラで急速にのしてきたパルマ(エル・ゲーロ)一家はこの決定に従わなかった。その背後にはシナロアのエル・チャポ・グスマンがいた。

パルマはガジャルドのボディーガードを勤めた経験がある。麻薬密輸作戦で失敗した後、組織からパージされたが、エル・チャポと手を組んでシナロア・カルテルを創設し、闇の世界に復活した。

彼はガジャルドに対し恨みがあった。1978年、アリゾナで麻薬密輸で逮捕され懲役8年の実刑となったが、妻は愛人と駆け落ちし700万ドルを持ち逃げした。その裏にガジャルドの策動があったといわれる。

愛人は子供二人を殺害し、妻の首をパルマの元に送り届けた。パルマは愛人の子供3人を殺害し、その背後にいたガジャルドの弁護士をも殺害し復讐を果たした。

92年の11月8日、アレジャノ・フェリクス兄弟らは、ハリスコ州プエルト・バヤルタのディスコで遊んでいた。そこにパルマ一家が突入し、銃を乱射した。8人の仲間がその場で撃ち殺された。

アレジャノ・フェリクス兄弟は奇跡的にその場を逃れることができた。逃亡を手引きしたのはデビッド・バロンだという。バロンはアメリカ人。サンディエゴを拠点とするストリート・ギャングで、アレジャノ・フェリクスの用心棒を務めていた。

 

Aポサダ枢機卿の殺害

 

Cardinal Juan Jesús Posadas Ocampo

 

アレジャノ・フェリクス兄弟は報復を誓い、黒幕のエル・チャポを暗殺しようと計画を練った。そしてグアダラハラ空港にエル・チャポがやってくるという情報を得た彼らは、デビッド・バロンの率いるローガン・ハイツ・ギャングにその実行をゆだねた。

1993年5月24日、ローガン・ハイツのスナイパーが空港駐車場でエル・チャポを待ち伏せた。そこにやってきたのが白のマーキュリー・グランド・マーキスという車だった。このけばけばしいアメ車は当時麻薬王たち御用達の車だった。

スナイパーは白のマーキュリー・グランド・マーキスを狙えと指令されていたから、それに忠実に従った。車に近寄ると至近距離から14発の銃弾を打ち込んだ。この攻撃で民間人6人が死亡した。

しかしこれはまったくの誤認攻撃で、エル・チャポは傷ひとつ負わなかった。身代わりとなって殺されたのはグアダラハラのカトリック最高指導者ファン・ヘスス・ポサダ・オカンポ枢機卿(Cardinal Juan Jesús Posadas Ocampo)だった。

というのが警察の説明である。

しかしこれには反論もある。もともとオカンポ枢機卿は麻薬業者を厳しく非難していた。当然、グアダラハラを本拠とするカルテルにとっては面白くない。

またオカンポはそのとき長い黒い日常法衣そして、大きい佩用十字架を着ていた。体型、外見ともエル・チャポとは似ても似つかない。その人物をわずか60センチの距離から誤認銃撃するだろうか、というものである。

 

2012年4月16日月曜日

Here I Am. 私はここにいるよ:旅(ニューヨーク編)


Dukeさんは、Jさんと連絡を取り合って、私達のトランクなどの荷物を、
先にB&Bのガンボさん宅へ持って行ってくれるようだった。
いつもながら、よく気がつく二人だった。

高速道路のパーキング・エリアで、落ち合うようにしていたらしい。
先に着いていたJさんと久しぶりにご対面する。
(相変わらず、可愛い人だった。)

Jさんは、向こうの運転免許も取り、
バンバンとNYはもちろん、あちこちに遠出してるという。

私は、要らぬ心配なのだが、維持経費が大変ですね・・・と言ったら、
Dukeさんは、日本の車検にあたる金額は大した事が無いけど、
車に関する保険の金額が大きいのだと言っていた。

なるほど、そういう国なんだろうな・・・と思う。

スタバでコーヒーを飲んだり、アイスを食べたりしてから、
車は、一路ペンシルバニアへと向かう。

ココで、スタバの銀色の取っ手の着いたマグを買う。

これが、どうしたわけか、
取っ手を「左」手に持たないと、飲み口が自分の方に来ない。

アメリカ人は、皆、「左きき」なんだろうか・・・はて??
いくら考えても解らない。

「取っ手」も不思議だった。(←・・・一応シャレです。笑。)

さて、このツアーは、NYから、片道3時間くらいはかかる計算だ。

もしもこれが、東京からだったら、
東だったら、福島あたりまで来てしまう程かもしれない。
西だったら、静岡あたりまで行く計算かも・・・。

Dukeさんは、仕事とはいえ、ご苦労さまだ。
それにしても、アメリカ大陸は広いなぁ。

とにかく長い道のりを、車は走り出した。

助手席に、ろだんさん。
後ろに、私とハナさん。
その後ろに、サラさん。

相変わらず雨が降っていた。

途中で、雨が、小止みになるので、
あちらに着けば晴れるかなと、やや期待しながら、車に乗っていた。
しかし、だんだんと雨は激しくなる一方だった。
場所に代っては、土砂降りで前方のほうも見えないくらいだった。

2012年4月13日金曜日

福島第一原発で働く作業員の年間被曝量、ついに上限撤廃を決める : ニュー投


2011/05/30

1 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/30 (月) 07:19:59.34 ID:AV2epuFj0●

福 島第1原発:作業員被ばく線量「年50ミリ」上限撤廃

厚生労働省が、東 京電力福島第1原発事故の復旧作業に携わる作業員に限り、年間50ミリシーベルトとしている被ばく線量の上限を撤廃することを決め、日本労働組合総連合会 (連合)に文書で示していたことが分かった。

定期検査時など通常の被ば く線量と合算し5年間で100ミリシーベルトの上限は維持する。

現行の ままでは、福島で作業後に他の原発の定検作業ができない可能性があるためだが、専門家からは作業員の安全を懸念する声も出ている。

厚 労省は、積算で100ミリシーベルトとしていた緊急時の被ばく線量の上限を、福島の復旧作業に限り250ミリシーベルトに引き上げた。

一 方、通常時の被ばく線量は年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトと変えていなかったが、他の原発の定検時と合算するかどうかは明確にして いなかった。

4月28日の通達で、合算して5年間で100ミリシーベル トを超えない▽復旧作業に従事しない作業員は年間50ミリシーベルトの上限を維持--としていた。

関 係者によると、文書は今月11日、連合の本部(東京都)であった臨時意見交換会で、安全衛生部の課長名で配布。福島の復旧作業に携わる作業員は「年間50 ミリシーベルトを超えても指導は行わず、5年間で100ミリシーベルトを超えないよう指導することにした」と明記した。

つ づきはうぇbで

元スレ→

2012年4月12日木曜日

ユーロ危機に続くドル崩壊のシナリオ | ビジネス | 最新記事


アメリカ経済

ユーロ危機に続くドル崩壊のシナリオ

Europe's Disaster Is Headed Our Way

大半のアメリカ人にとってギリシャやイタリアは憧れの観光地に過ぎないが、地中海諸国の危機を無視できない理由

2011年12月14日(水)17時21分

ニーアル・ファーガソン(本誌コラムニスト、ハーバード大学歴史学部教授)

[2011年11月23日号掲載]

 生み出したギリシャとローマを同時に危機が襲う──西洋文明の危機に関する著書を出版したばかりの私にとって、今の世界はこれ以上ない状況にある。

 しかし大半のアメリカ人は、EU経済が大混乱に陥っても首をひねるだけだ。彼らにとって、ギリシャやイタリアは一度は行ってみたい観光地にすぎない。「地中海政治」を詳しく解説しても、一向に関心を示さない。

2012年4月10日火曜日

整形失敗から1年を振り返る…|韓国美容整形旅行案内会社の実態!! 私の韓国美容整形失敗体験談!


韓国美容整形案内会社ナ○コリアを通じて鼻と顔全体の脂肪の手術を受けてから早くも一年が経ちました

美容整形した私の顔は家族にも友達にも

「明らかに失敗だね。前の方が可愛かったよ。」
と、言われそれからの私はダウンタイムから鬱状態に入りました

*鼻には曲がったシリコン
*骨折して出来た鷲鼻を削らずにシリコン挿入
*ドクターの独断で手術前に伝えた鼻の形とは全く違う形に
*頬の脂肪注入が下手くそでじゃがいもみたいにデコボコなラインに
*脂肪の量も多くもともと張ってた頬骨のところが盛り上がるようになり余計に頬骨が出てるように

この一年間友達を避け、彼氏とは別れ、仕事も辞め、毎日そんな顔を鏡で見ながら顔を掻きむしって泣いていました…

ですが、悪徳な斡旋業者ナ○コリアは様々な言い訳や脅すよう嘘を付き保証期間の一年間…私に再手術を行ないませんでした。

再手術をすべて拒否した時の言い訳

韓国美容整形案内を斡旋する悪徳仲介会社

【ナ○コリア NA○I KOREA】

検索すれば直ぐに出てきます。

私はこの会社の代表パク・ギュ○さんに○○エリークリニックを手術を受けるよう勧められ
その後は本当に散々な一年でしたね。

最後には
「あなたはこれ以上私に何がして欲しいの?ドクターが出来ないって言ってるんだから私に何が出来るって言ってるの?」と、

2012年4月9日月曜日

The Dying Room―スイスの「自殺幇助組織」ディグニタス: ベティべあ 2012


The Dying Room
それは犯罪か、あるいは悩める人の救済か―「自殺幇助組織」ディグニタス
from The Guardian UK (via COURRiER Japon)

深く考えさせられる記事でした。


Copyright © The Guardian UK

平穏なスイスの片田舎に、ディグニタスという組織によって運営されている小ぎれいな部屋がある。
この場所では、「尊厳ある人生の終わり」を迎えるためのサービスが提供される。
つまり、自殺を手助けしてくれるサービスだ。

ディグニタスの提供するサービスは、決まった手続きを踏み料金を支払えば、"ちゃんと自殺できる"
というもの。まず会員になり、必要書類を送り、医師から致死薬が処方され、そして好きな人たちと
最期の時間を楽しんだ後、スタッフ立ち会いのもとビデオカメラの前で"自ら"薬を飲む。そして、
本人が自発的に薬を飲み"自殺"した様子が記録された後、警察や葬儀屋を手配するという流れだ。

2012年4月7日土曜日

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čٌ512 (Jan. 22, 2003).

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[]Ғ*1 198, 269-70 (E.D.N.Y. 2001).
  • RESTATEMENT (SECOND) OF TORTS §402A, cmt i.

y藝Rz@iSweetAMnٔ�at 516 iȏA]҂ɂ钼j.

2012年4月6日金曜日

KYOKO - Ceron.jp


10月31日CSIROパークス電波天文台50周年記念

10月26日オーストリアの建国記念日

10月23日アルゼンチンの国政選挙

9月27日Googleの誕生日-13周年おめでとう~♪

10月21日メアリー ブレア 生誕100周年

9月24日ジム ヘンソン 生誕 75 周年

8月17日ピエール ド フェルマー生誕記念

7月20日グレゴール メンデル 生誕189年

2012年4月4日水曜日

In Deep: 専門家によると「異常なできごとではない」動物の大量死の1月分のリストアップ


(管理人より) 土曜の夜から不在だったのですが、家に戻ると、本当にたくさんのメールをいただいていまして、ありがとうございます。いろいろな貴重な資料や記述をお送り下さる方も多く、すべて読んでご返信するには少し時間がかかってしまいそうで、ご返信が何日か後になってしまう場合もあるかと思います。
大変に申し訳ありません。
たくさんのお便り、本当にありがとうございます。


(訳者注) 上にも書かせていただきましたが、いろいろなご意見やご連絡に感謝しております。

今回は、最新のニュースというわけでもないですし、今さらの感もあるかとも思われますが、「大量死」のその後のリストです。

実は私の地元(東京の吉祥寺に近い場所です)でも、最近、「うまく飛ぶことのできない鳩」を多数目撃するのです。これまで何度か目にしていて、そして、今日も私の家のすぐ近くの路上で見ました。

人や車が近づいた時に飛び立とうするのですが、その飛び方・・・。

モタモタと羽をバタつかせて、ほんの数メートル上にある電線に上がるだけでとても苦労している。近所で、こういう鳩をたくさん見るようになっています。

そもそも最初に気づいたのは、昨年なのですが、散歩で よく行く井草八幡宮という神社があって、そこには鳩がたくさんいるのですが、「高くまで飛び上がらない鳩」が妙にいることに気づいていました。飛ぶのが下手なんです。
一羽や二羽なら怪我だとも思えるのですが・・・。

まあ、イタリアでも先日、数千羽の鳩が落ちて死んでいくというニュースなんかもありました。

イタリアでの大量死の原因はわからないままのようですが、こう頻繁に見かけることがあると、何となく、01月08日に書いた記事(「米国フロリダのタンパ国際空港が磁極の移動(ポールシフト)の影響で滑走路の閉鎖へ」)で参考資料として掲載した、秋田大学の地球資源学科のリリースした文章のこの部分も思い浮かんだりします。

季節の変わり目は渡り鳥の移動する時でもあります。渡り鳥の中には1万キロ以上旅をする種類もいます。

長距離を移動する時、渡り鳥はどのように方向を決めているのでしょうか。地球の磁場(地磁気)を感じて自分の方向を判断しているとの説があります。この説に従うと、鳥たちの頼りとなる地磁気がなくなれば大変なことになります。

この心配は現実のものになるかもしれません。


鳥に関しては、他の様々な部分で、私の住んでいる環境だけでも、この数年でずいぶんと変わりました。昔は朝、スズメの鳴く声で目覚めたものでした。窓を開けて眠ると早朝など「スズメ、うるせー」(笑)と怒鳴りたくなるほどうるさかったのです。

でも、一昨年あたりからスズメを次第に見なくなり、昨年の春に数匹のスズメがまだ飛んでいましたが、夏以降は多分「1羽も」見ていません。近所の公園などにはまだいるようですが、周辺にはいなくなってしまいました。まったく見ません。

2012年4月2日月曜日

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