2012年5月13日日曜日

インディアン対合衆国の戦いのスレ


インディアン対合衆国の戦いのスレ

1 :世界@名無史さん:02/10/11 18:58

リトル・ビッグ・ホーンの戦いや
ジェロニモの猛烈な抵抗などを語ろう。











3 :世界@名無史さん:02/10/11 19:01

アラモ砦の戦いってインディアンがらみだっけ。
漫画の不動明王のやつにもインディアンが出てくる回があって
あれ、楽しかったなあ

4 :サンタアナ:02/10/11 19:11

アラモは対メキシコ軍ですが・・・

5 :世界@名無史さん:02/10/11 20:04

インディアンは何処から
銃を調達していたのですか。

6 :世界@名無史さん:02/10/11 20:12
>>5
ユダヤ商人から
7 :世界@名無史さん:02/10/11 20:19
>>1さんに質問です
そもそも北米大陸にどのくらい拠点があったのか。
原住民の人口はどの程度だったのか、相互の連携はどうなっていたのか。
組織的な抵抗はいつ頃から始まって、いつ頃完全に屈服したのでしょうか。
8 :世界@名無史さん:02/10/11 20:20
>>5 フランス人からじゃないの?
9 :世界@名無史さん:02/10/11 20:21

今は、「インディアン」という呼称、放送禁止になっているからねえ。

10 :世界@名無史さん:02/10/11 20:21

インディアンは銃を調達しても、それを作ろうとは考えなかった。
まして、銃を作れるように社会制度を改革しようなどはまったく
思わなかった。

11 :世界@名無史さん:02/10/11 20:24

アメリカ史ではショーニー族、クリーク族、セミノール族の抵抗が激しかったとか
かなり断片的な知識しか学ばなかった。ラスト・オブ・モヒカンとか
アパッチとか、ダンス・ウィズ・ウルブスとか今思い返してみると面白そうな
研究分野ではあるんだよね。

12 :世界@名無史さん:02/10/11 20:25

やつらもヘタレだよな。
IRAみたいにテロのひとつもやったらどうなんだ。

13 :世界@名無史さん:02/10/11 20:28
>>9
そーそー前不思議に思ったんだけどさ、(知識人の間じゃネーティブ・
アメリカンと呼ぶのが常識らしいけど)CBSドキュメントみてたら
ピーター・バラカンと司会の女性がなぜか、インディアンという言葉を
使ってたのよ。ピーター・バラカンなんかいかにもネーティブ・アメリカン
のほうを使えよって言いそうなタイプなのにね。何か事情があったのかも
しれん。
14 :世界@名無史さん:02/10/11 20:29
>>12
それは60年代で終わってる。テロじゃないけど
そう言う運動はありましたよ。
15 :世界@名無史さん:02/10/11 20:32
>>13
それは薔薇感がイギリス系の東南アジア混血で
PC(政治的に正しいってやつ)の影響をあまり
受けていないってことでしょう。

其れよりNHKの衛星映画劇場の西部劇の字幕で
「インデアン」ってはっきり発音してるのに
「先住民」って字幕が出る偽善性のほうが嫌
なんだすが。

16 :世界@名無史さん:02/10/11 20:34
>>15
普段、英語で生活してる人だろうし無学じゃないだろうから
なにか事情があったっぽいんだよね。一緒にいる女性の司会まで
インディアンっていってたから、ただ理由はわからんのよ。
17 :世界@名無史さん:02/10/11 20:35

ラテンアメリカでも、インディオというのは使わなくなったの?

18 :世界@名無史さん:02/10/11 20:37

アングロサクソンによって最初に血祭りにあげられた
北米先住民族は?

19 :世界@名無史さん:02/10/11 20:38

PCが突出してるのはUSでしょうやっぱり。

20 :世界@名無史さん:02/10/11 20:43

マヤやアステカのような「文明」
というのは北米には存在しなかったのかねえ。
南米と比べると侵略の経緯があまり
知られてなさそうですなあ。

21 :世界@名無史さん:02/10/11 20:44
>>18
それ以前にバイキングと先住民の
戦いがあったかもしれません。
確認のしようがないですが。
22 :世界@名無史さん:02/10/11 20:50

イヌイットは?

23 :世界@名無史さん:02/10/11 21:15
かれらインディアンは基本的に豊かな大陸に包まれた怠惰な連中で、
ダコタのパインリッジという居留地をクリントン大統領が訪れたとき、
失業率73パーセントと聞いて驚愕したそうだ。
(当時アメリカ合衆国の平均失業率は5パーセント以下)
そのくせ保護政策で一時金が至急されると、
男はキャデラックを買ってしまい、その後
ガソリンスタンドで1リットルだけガソリンをくれ、と言う光景を
良く目にする、とのこと。
そうでなければ昼間ッからウイスキーを飲んだくれる。

インディアンの生活が
ヒーリングに適用されるわけですな。

24 :世界@名無史さん:02/10/11 21:19

インディアンて農耕を行ってたの?
それとも狩猟採取生活でっか?
文字は存在した?

>>23
近代の生活様式が、相当不自然で、我々はなれているが
なれていない人には辛いと言う事ですね.

怠惰というより、独自の生活リズムが過去にはあったと言う事でしょう.

26 :世界@名無史さん:02/10/11 21:24

イ〜ンディアン、嘘つかない♪
ってほんとですか?

27 :世界@名無史さん:02/10/11 21:26

ウェブ・ガリソンという人の本にWWUのとき連合軍がインディアンの部族
に伝わる雄たけびを暗号技術に利用したという怪しげな記述があった。
ありゃホントなのかね。

28 :世界@名無史さん:02/10/11 21:27
>>26
インディアンに対して
嘘をつきまくった人達への
皮肉なんでしょう。
29 :世界@名無史さん:02/10/11 21:28
>>28
頭の皮を剥がして集めるというのは本当は白人が始めたらしいよね。
30 :世界@名無史さん:02/10/11 21:33

そろそろ卒論で北米先住民について
書いた人とか出てきてくれると嬉しいのですが。

31 :世界@名無史さん:02/10/11 21:40
>25
植民団のプロテスタントは勤勉ですからね。
でもプロテスタントに接触して建国からでも200年経ってるのに
差し引き68パーセントが影響を受けていないのはなんでしょうね。
彼らプロテスタントははスペイン・ポルトガルのカトリック信者のような
強烈な信仰心で民族を根こそぎ改宗させるような熱心さは
持ってなかったといいますんで、その辺他人みたいな付き合い方だったんでしょうか。
32 :世界@名無史さん:02/10/11 21:42

もっとも強かった部族を教えてください。

>>32
アラウカーノ

34 :世界@名無史さん:02/10/11 21:45

コマンチって西部劇で良く出ますね。
強いって何でしょうね?格闘戦ですか、組織的に
白人に対抗する強さでしょうか。
だいたいは部族の好戦性と、平原インディアンの
体のでかさに尾ひれがついたもんだと思います。

>7
北米では、ミシシッピ川流域に結構大きな首長社会があったことが確認されてます。

人口に関しては、白人来航時には100万人程度とほとんど無人大陸だった、
と米国では教えているようですが、
実際にはコロンブス到達から北米植民までの間に旧大陸の疫病で人口が激減しているとのこと。

36 :世界@名無史さん:02/10/11 21:57
>>35
北米の先住民族文明を研究してる人って
日本にいますかね?
37 :世界@名無史さん:02/10/11 22:40
1756年、英仏は北米大陸の覇権を争うためインディアンの懐柔に狂奔する。
しかし、英仏で講和が成立すると英はインディアン絶滅策を実行する。
ペスト菌、チフス菌、天然痘菌を主体とする細菌戦術は東部の森林インディアンを絶滅させる。
今日のアメリカ合衆国史はこれを「フレンチ・アンド・インディアン戦争」と呼称する。

・・・・・・・・

38 :世界@名無史さん:02/10/11 22:44

フレンチ・インディアン戦争にイギリスが負けていれば世界史は違っただろうな。
インディアンの悲劇はなかったし、"米国"もあそこまで超大国にはならなかったはず。
フランス人はカスだから。
そしたら、"米国"の極東介入もなかったし、日本が敗戦国になることもなかった。
もしかしたらヒトラーはソ連に勝ったかもしれない。米国の援助がなければソ連も中国も
戦えなかった。

39 :世界@名無史さん:02/10/11 22:58
>>38
そもそもアメリカが超大国じゃなかったら、第一次世界大戦の状況が
まず変わっていると思うが。
40 :世界@名無史さん:02/10/11 22:59
>>38
征服されるのが多少遅くなったか、
支配者がフランスになるかだけの話では?
アングロサクソンを北アメリカから
駆逐するというシナリオは考えにくいでしょ。
41 :世界@名無史さん:02/10/11 23:59
>>38映画パトリオット中で敵が赤服から青服になってるだけじゃない?
42 :世界@名無史さん:02/10/12 00:07
>>34
コマンチ族は頭脳的な作戦を立てることで有名な部族です。
43 :世界@名無史さん:02/10/12 00:12

コマンチ、アパッチ・・・・・・・・・・・・・・・戦闘ヘリ??

>>43
逆。
先住民の名前をつける慣習なの。チヌークとか。
日本で言えば艦種ごとに国名をつけたり川や山の名前を割り振ったりしたようなもん。
45 :世界@名無史さん:02/10/12 00:22

みんなインディアンの事については
あんまり知らないだろ?
この辺は世界史板の穴だ

そういえば戊辰戦争に捲けた会津だかどっかの藩士二人組がアメリカに渡って
そこでインディアンの仲間になってカスター将軍と戦ったりする漫画があったね。
あれなんて名前だったっけ?結構面白かったけど。

47 :世界@名無史さん:02/10/12 00:43
48 :世界@名無史さん:02/10/12 00:45
>>1 ・・・・なんか、むっちゃ悲しいんですけど。
49 :世界@名無史さん:02/10/12 00:48
50 :世界@名無史さん:02/10/12 00:49
「フィリップ王」やら「オクラホマ」やら「ゴーストダンス」やら…。

ええ話の無いこと無いこと。

51 :世界@名無史さん:02/10/12 00:52

結局、インディアンも元を辿れば侵略者だったんじゃないの?

52 :世界@名無史さん:02/10/12 01:03
>>51
インディアンが南北アメリカ大陸に渡った頃は、文字通りの無人の大地。
53 :世界@名無史さん:02/10/12 01:07

大型獣は狩りすぎで絶滅しちゃったけどねー。
始点を延長するタイプの投槍器がむちゃくちゃ強力で、
子供でもそこそこ威力が出るとなんかの本で読んだな。

54 :世界@名無史さん:02/10/12 01:08
>>50
ゴーストダンス。かなしいはなしだにゃー
55 :世界@名無史さん:02/10/12 01:10

メガテリウムやグリプトドンが絶滅したのは、やつらのせいだからな。

飢え死にしかけていたピルグリム・ファーザーズたちにあるネイティブ・アメリカンがトウモロコシと七面鳥をプレゼントした。
それを記念したのがサンクスギビング・デイだよね。

祝日にするほど感謝したくせにインディアンに対してあの仕打ちか。
なんて奴等だ。

58 :世界@名無史さん:02/10/12 02:34
珍しいネタだ。
>>1よ是非がんばって
伸ばしてくれ。

>>57
異教徒は人間として
映らなかったのでは?

59 :1以外を読まずにカキコ:02/10/12 02:39
カスター将軍じゃなくてカスター中佐はDQN!

さて寝るか

>27

ナバホ・コードトーカーに関する記述を"怪しげ"とは。
ウインドトーカーズ見に行け。

61 :世界@名無史さん:02/10/12 04:28

マンハッタン =岡の島
オクラホマ=真っ赤な嘘
スー =敵
だったかな?
インディアンの言葉に由来する地名はアリゾナとか
色々あるみたいですが、
誰か詳しい人は知ってる限り教えてくださいませ。

62 :世界@名無史さん:02/10/12 15:21
63 :世界@名無史さん:02/10/12 15:26

サンドクリークの虐殺事件はアメリカが引き起こしたホロコースト、
ジェノサイドだったんだね。

64 :世界@名無史さん:02/10/12 17:22
>>57
それが日本人とアイヌ人だったら、別の未来が待ってたんだろうね。
65 :世界@名無史さん:02/10/12 18:09
>>61
では州名を。 
アイオワ=ウアウイアトノン族
アイダホ=コマンチ族・ただし、コマンチ族とは関係無い。
アーカンソー=同族名
アラバマ=アリバム族
アリゾナ=パアゴ語の「アリ・ショナク(小さな泉の湧く所)」
イリノイ=同族名
オクラホマ=チョクート語の(赤銅色の人)
カンザス=カンサ族
ケンタッキー=「ケンタケ(牧草地)」
コネチカット=(長い川)
テキサス=テヤス族
ネブラスカ=シオウアン語の「ニ・ブトハスカ(広く平らな水)」
ノースダコタ/サウスダコタ=ダコタ族
マサチューセッツ=(大きな丘の麓)
ミネソタ=シアウン語の「メネソタ(水煙る)」
ユタ=ユテ族
ワイオミング=アルゴンキン語の「メシエ・ウェアミ・イング(大きな平地)」ただし、元々は東部の地名。

世界地名ルーツ辞典より 

66 :世界@名無史さん:02/10/12 19:59
>>65に追加
ウィスコンシン=アルゴンキン語の「メス・コン・シング(大きく長い川)」
オハイオ=イロコイ語の(美しい川)
テネシー=「テナス」インディアン起源だが、語源不明。
ミシシッピ=「メスシピ(大河)」
ミズーリ=同族名

次に都市名。
オマハ=同族名
シアトル=シーヤト(酋長の名)
シカゴ=「シガゴウ(玉葱のある所)」
マイアミ=マスコギン語の(巨大な)
ミネアポリス=「ミンネハハ(滝)」とギリシア語のポリス(町)との合成。
ミルウォーキー=アルゴンキン語の(美しい土地)

世界地名ルーツ辞典より 

67 :世界@名無史さん:02/10/12 20:58

スタンド・ウェティ将軍マンセー

68 :世界@名無史さん:02/10/12 21:21

どうせならクリーブランド・インディアンスの全選手をインディアンにすればいいのに・・・

69 :世界@名無史さん:02/10/12 21:32
>>68
それをいえば、インディアナ州には白人は住んではいけないでしょう。

…まあ、オクラホマですら先住民のものにはならなかったんですが。

70 :61:02/10/12 21:46
>>66

おおー、こんなにもあるんですね。
けっこう凄いですね。

地名以外にもアメリカ原産の作物とか
ありそうですね。ポテトとか、トマトとか、インディアンとは
違うかもしれないけど怪しい命名ですね。

植民2世以降の開拓地が多いような気がしますね。
地名の由来は植民団、開拓者の土地にかける思いの差かもしれませんね。
沿岸沿いの、植民団が切り取りに来た土地(ニューヨーク)とか
伝説の黄金の国の名がついたカリフォルニア、
キリスト教を伝えに来た宣教師が「ロサンゼルス(天使の女王)」
とか付けた具合に。

71 :世界@名無史さん:02/10/12 23:23

インディアンで一番強かった部族ってどこ?

72 :世界@名無史さん :02/10/12 23:25

河畔に日本から贈られた桜が植えられていることで有名な
ポトマック川はインディアン由来っぽいかんじがするね。

73 :65:02/10/13 00:21
>>70
植民地での命名は、「故郷への想い(ボストン)」「新天地への想い(ニュー○○)」「現地名・使用名の訛り(シカゴ)」、「現地人への想い(アイダホ)」
「なにかの記念(ピッツバーグ)」などに分類されるそうです。
それから、カリファルニアの語源はスペインの詩人・オルドニエスの詩の【美女と黄金の島】のことで、元ネタはないそうです。
前述の本からですが、アメリカの命名基準はかなりいい加減ですよ。

>>72
パウタメク族が語源だとか。

74 :世界@名無史さん :02/10/13 00:37
>>23
土地を奪われる事に納得しないような世界の平均的市民のネイティブは、
クリスチャンの入植直後から19世紀に至るまでに、
文字通り「皆殺し」にされました。
本当の植民地支配というのはこういうのを言うのですよ。
>かれらインディアンは基本的に豊かな大陸に包まれた怠惰な連中で、ダコタのパインリッジという居留地をクリントン大統領が訪れたとき、
>失業率73パーセントと聞いて驚愕したそうだ。そのくせ保護政策で一時金が至急されると、
>男はキャデラックを買ってしまい、その後ガソリンスタンドで1リットルだけガソリンをくれ、と言う光景を
>良く目にする、とのこと。そうでなければ昼間ッからウイスキーを飲んだくれる。

これって昔白人が黒人に対して言ってたこととそっくりなんですけど・・・

76 :65:02/10/13 01:01
>>75
「先住民政策」は、元々かなり困難なんですよ。
「前提」として、「従来からの暮らし」が「破壊」されているわけですから。
そうなると、「同化」か「保護(隔離)」かになってしまいます。

居留地でも、民族衣装・彫刻などの制作・販売や、カジノの経営とかをしているところも
ありますが、なかなか…。

77 :世界@名無史さん:02/10/13 01:12
>>70
ポテトはラテン・アメリカ発祥だったような。
>>57
>それが日本人とアイヌ人だったら、別の未来が待ってたんだろうね。
こういう関係ない事言うバカが出てくるからどのスレも荒れるんだろうなw
79 :世界@名無史さん:02/10/13 01:18
>>78

あなたが言わなければ・・・

80 :世界@名無史さん:02/10/13 01:25
>>76
カジノ経営はインディアン保護策として認められたもので、
最初はビンゴ程度だったけど今はトランプゲームも盛大にやってる。
でも、成功してるのは大都市に近いところだけで、
経営はマレーシアとかのプロに任せて、インディアンは上がりを取るだけ。
いっその事インディアン居住区を独立させりゃいいんだよ。

・・・でも援助無しには自活できんか。
国境ができた今となっては昔みたいに遊牧生活は無理だな。

今でも広範な自治権が認められていたはず。

独立させると逆に南アフリカみたいな人種隔離施策になっちゃう。
昔から住み着いていたわけではなくて強引に押し込めた過去があるわけだし。

インディアン虐殺問題をあつかった映画に
「ソルジャー・ブルー」というのがありますた。

インディアンとの戦いで、変わっているのは
「ブラボー砦の脱出」
アパッチが実際に行っていた戦法で、弓を砲兵隊の要領で使う。
公開当時のこのシーンを見た人々は、度肝を抜かされたとか‥

ビデオ屋で見かけたら借りてみたら。

84 :世界@名無史さん:02/10/13 08:30

あれだろ、ペンシルバニアのクエーカー教徒だけは、だまし討ちとかじゃなくて
穏健にインディアンと交渉が成立したんだろ。

85 :世界@名無史さん:02/10/13 10:15

インディアン嘘つかないっていうのは
「1つ2つ3つ、それ以上はたくさんだ」
ってある白人が教えて。
他の白人と物を交換するとき
「たくさん欲しい」
「たくさんってどのくらいだ?」
「いやたくさんだ、1,2,3以上はたくさんだろ?インディアン嘘つかない」
って話があるんじゃなかった?

86 :世界@名無史さん:02/10/13 10:41
>>83
詳細キボン>弓を砲兵隊の要領
87 :世界@名無史さん:02/10/13 10:43

ホントか?綺麗な石とかを集めて、袋に詰めて、この個数だけ欲しいって
言えば良いとおもうぞ??数を数えられない民族でも、普通そうやって、
物々交換できると思うが?

88 :世界@名無史さん:02/10/13 14:56
>>87

白人はだますのがウマイ。
もしくはインディアンが馬鹿

89 :65:02/10/13 22:46
>>88
「ウソをつく意味」が理解できなかったのでは。

「【他人を騙す可哀相な輩】なんだから、大目に見てやろう」
とか。

アイヌはそうだったと聞きました。

90 :83:02/10/13 23:47
>>86
映画でやってたのは‥

攻撃目標を槍を持った騎馬インディアンが襲撃、目標の周囲に、
槍を何本も突き立てる。
岩山の反対側に弓を持った集団が待機。
その中の1人が弓を試射し、その矢の落下地点を別の1人が岩陰から観測。
突き立てた槍を、目安にしてその観測係が、ジェスチャーで
弓を射る角度を修正していく。
角度が定まったら、全員で一斉に射る。
これで目標地点に弓矢が、雨のように降り注ぐ事になる。

映画ではアパッチが実際にやっていた事を、どこまで再現しているのか
疑問だが、驚くほど巧妙戦法である事には間違いない。

91 :世界@名無史さん:02/10/21 23:43

軍隊とか警察が部屋に突入するときによくやる無言で指示する手振りって、
もともとインディアンが狩りの時に使っていたのを見て取り入れた、
って聞いたことがある。

92 :世界@名無史さん:02/10/22 04:25
>>46
それ、つい最近の話だろ。
谷口ジローの「天の鷹」だ。
93 :世界@名無史さん:02/10/22 08:17
>>89
インディアンは無文字文化だ。
だから、言葉が神聖なものとなる。族長の言葉はすなわちルール、憲法であり
いったん口に出したことを覆すのは、社会の根本ルールを破壊することと
ほぼ同義になる。
…という文化だった。
だから、ウソをつく、ということができなかった。

以下は与太話になりますが、古事記でヤマトタケルがイズモタケルに
ウソをつきだまし討ちにするエピソードが英雄的であると記述されているが
この時代、日本でもウソをつくという能力は「超能力」扱いだった、のだと
思う。

94 :世界@名無史さん:02/10/23 00:57
>>93

インディアン嘘つかないって結構深い事言ってたのか・・・

95 :世界@名無史さん:02/10/23 01:00

言霊思想ですな。

96 :世界@名無史さん:02/10/23 01:03

ネイティブ・アメリカン

インディアンVSチンギス・ハーン

98 :世界@名無史さん:02/11/05 23:29

age

99 :世界@名無史さん:02/11/05 23:51
>>38
変わりにアラスカを獲得したロシアが南下し、カナダを手中におさめ、
ヨーロッパを席巻し、アメリカが存在しない世界で
ドーバー海峡で封じられた英軍とナチスドイツが制覇した西欧州と
ソ連が東部戦線やカナダでの大戦車戦になっただろうね。
いやー下手したらもっと南下してアメリカ周辺まで露領となって
いたかもね。
100 :世界@名無史さん:02/11/06 06:12

100げと

101 :世界@名無史さん:02/11/12 23:29
もちろん、インディアン対合衆国の戦いは、「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」や
「ジェロニモの猛烈な抵抗」で幕を閉じたわけでも、ウンデッドニーで終わったのでもありません。
1973年の第二次ウンデッドニー事件をご記憶の向きも多いと思います。

ところで、もしも「インディアン」が差別語であるならば、第二次ウンデッドニーを指揮した、戦うインディアン組織、アメリカ・インディアン運動(AIM)は、なんでネイティブ・アメリカン運動(NAM)に改名しないのでしょうか?(つづく)

102 :世界@名無史さん:02/11/12 23:32
(承前)
「インディアン」は差別語で、
「ネイティブ・アメリカン」こそが礼儀にかなった用語だというのは、
重い込み・五階・鞭に基づく謬見でしょうね。

実際には、「ネイティブ・アメリカン」なんて言い方をしたがるのは
非インディアンの陰照源ちゃんで、
合衆国のインディアン自身は「インディアン」と呼ばれることを
そう嫌がっていないようです。
特にリザーベーションに住むインディアンは、
「ネイティブ・アメリカン」よりも
「インディアン」と呼ばれる方を好むという統計があります。(つづく)

103 :世界@名無史さん:02/11/12 23:36
>15
>其れよりNHKの衛星映画劇場の西部劇の字幕で
>「インデアン」ってはっきり発音してるのに
>「先住民」って字幕が出る偽善性のほうが嫌
>なんだすが。
お説、ごもっとも。
来日したインディアンが講演したり、
インディアンが話している場面を日本で放送するとき、
話者自身は自分たちのことを「インディアン」と呼んでいるのに、
通訳や字幕が勝手に「ネイティブ・アメリカン」と言い換える例が
しばしばあります。
まことに失礼な話です。

なお、カナダの先住民は
「ファースト・ネーションズ(First Nations)」という呼称を好み、
南米の先住民には「インディオよりは「インディヘナ(indigena)」と
呼ばれる方がましだと考える人が多いようです。

104 :世界@名無史さん:02/11/12 23:42
>51
>結局、インディアンも元を辿れば侵略者だったんじゃないの?

インディアン自身も侵略者だったというのは、
ある意味で正しいと思いますよ。
イロコイはヒューロンを攻め滅ぼし
デラウエアを従属国の地位に貶めました。
北からアリゾナ方面に侵入してきたナバホやアパッチは、
先住のホピやズニの村々を略奪しました。
そして、18世紀後半から19世紀にかけて大平原に進出したスーは、
先住諸部族を追い出してダコタに居を占め、
さらに、モンタナのクローの土地に食指を伸ばしました。
リトルビッグホーンの戦場となったのも、
もともとはクローの領土でした。(つづく)


私達の政府のスーパースパイは誰なの
105 :世界@名無史さん:02/11/12 23:43
(承前)
「インディアンも侵略者だったんだから、
合衆国とどっこいどっこいじゃないか」
とは言えないと思います。
合衆国がインディアンの土地を簒奪したやり方は、
正々堂々の戦いの結果とは必ずしも言えず、
しばしば、卑劣な欺瞞と、得て勝手な偽善に彩られているからです。
条約を無視した取り決めを勝手にでっち上げたり、とかね。

でも、インディアンは、条約を破られたからと言って
泣き寝入りするようなヘタレじゃあありません。
条約破りによって損なわれた権利を回復する戦いを
いまもつづけているのであります。

そもそも、イギリス自体も・・・

「アメリカン」って名詞が後からやってきた探検家の名前なんだから、
上に「ネイティブ」と付けようが失礼なことには違いないわな。

108 :世界@名無史さん:02/11/16 01:43
107さんのご指摘は、確かにその通りと思います。
ご指摘のことのほかにも、「ネイティブ・アメリカン」という呼称には
いろいろな問題があります。

ネイティブ・アメリカンには、「アメリカ先住民」という意味と
「先住民系アメリカ人」との意味があると思われ。
合衆国に住むインディアンは、アメリカ国民でもあるわけですね。

ところが、インディアンが「先住民系アメリカ人」と言い換えられた途端
彼らは、「○○系アメリカ人」と呼ばれる、
合衆国を構成する数多の少数民族/人種のひとつに
過ぎなくなってしまい、
アメリカ大陸にもとから住んでいた人たちの子孫であるという、
他の民族/人種にはない特別感がなくなってしまいます。
単なる少数民族として相対化されると、先住民系アメリカ人は、
アフロ系やラテン系に遠く及ばない、少数者中の少数者として、
とるに足りない存在となってしまうのです。(つづく)

109 :世界@名無史さん:02/11/16 01:46
(承前)
ネイティブ・アメリカンという呼称は、
先住民としてのインディアンの言い換えとしても不適切です。
何故なら、ネイティブ・アメリカン、即ちアメリカの先住民には、
インディアンだけでなく
エスキモーやハワイの先住民も含まれるからです。

さらに困ったことに、「ネイティブ・アメリカン」は
必ずしも先住民系アメリカ人やアメリカ先住民を指すとは
限らないのです。
(つづく)

110 :世界@名無史さん:02/11/16 01:47

(承前)
新作映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」は、
19世紀初頭のニューヨークを舞台に、
アイルランドからの移民と、彼らを排斥しようとする
「ネイティブ・アメリカンズ」と名乗る
アメリカ生まれのアメリカ人との抗争が背景とのこと。
この例からもわかるように、
「ネイティブ・アメリカン」は、インディアンに限らず、
「アメリカ生まれのアメリカ人」一般を意味することが
あります。
戦うインディアン組織、AIM(American Indian Movement)
が、NAMに改名しないのは、
ナム八幡大菩薩、茄の与一っつあんになってしまうからじゃ〜
・・・ではなくて、
Native American Movementじゃ、「生粋のアメリカ人運動」なんて
ウヨク的な組織と勘違いされかねないからかもね。
(つづく)

111 :世界@名無史さん:02/11/16 01:50
(承前)
村山由佳さんの小説「翼」に、日本人のヒロインから
「ネイティヴ・アメリカン」と呼ばれたナバホの青年が、
「その呼ばれ方は嫌いだね」
と切り返す場面があります。
「呼び方だけ変えても、実際には何も変わってやしないからさ。
今さらうわべの呼び方を『インディアン』から『ネイティヴ・
アメリカン』に変えたくらいで、今までの仕打ちをうやむやに
してもらったんじゃたまらない」

小説とは言え、「ネイティブ・アメリカン」なんて
いかにもワケ知り顔のインテリが好みそうな呼称に対する
インディアンの気持ちを、うまく表現しているのではと思われ。

本スレは歴史板なので、「北米先住民の呼称問題」は
この辺で切り上げ、そろそろ本題へ。

113 :世界@名無史さん:02/11/16 04:51
>>108氏の説明で、ピーター・バラカンがなぜインディアンと呼んだのか
問題が氷解した。これからは、ネーティブ・アメリカンじゃなくてインディアンが
1歩先を見据えた言葉ですな。
114 :世界@名無史さん:02/11/16 04:57
>>105
>インディアンの土地を簒奪

民族呼称の正確性を云々するのも結構だが、
その前に日本語を正確に使えよ。

115 :世界@名無史さん:02/11/16 05:01

簒奪というのは「帝位を奪い取ること」という意味だったんですね。
けっこう、具体的なせまい概念範囲の言葉だ。一見、何かを奪う、掠め取る
という一般的な意味の言葉と勘違いしたりして。

ヨーロッパ各国から、南北アメリカ大陸に
押し寄せた人々の、先頭に立っていた連中は、
ならず者、ゴロツキ、本国には居場所のない人間、
本国にいると都合の悪い人間、そして明らかに侵略的な
意図を持ったキリスト教宣教師等から成る勢力だった訳で。

彼らは当初から、全体としてみると、彼らが渡航してきた
以前からいた連中(先住民)を、文字通り"根絶やし"にする
腹だった訳で。

一方的に攻撃するだけでは、簡単に殲滅できない先住民の
集団に対しては、話し合いに応じるフリをして、伝染病で死んだ
患者が使った毛布を贈与して、人口を減らしたり等々(以下略)

宣教師の加わった、ヨーロッパ大航海時代の勢力が、日本にも
出現し始めた頃に、日本が史実よりも軍備していないタイミングだったら、
ほんとどうなっていたか分かりません。

117 :世界@名無史さん:02/11/16 05:53
>>116
近世以前において、数十隻の艦隊で制圧できる日本というものが想像できないのだが
118 :世界@名無史さん:02/11/16 06:16

アメリカの反日ロビー活動に対抗して、「サンドクリーク・ジェノサイドを心に
刻むホームページ」を作ろうか。インディアンと被爆者との連帯だ。アメリカ人
たちにこの哀れなモンゴロイドたちの遺影を付きつけよう。

119 :世界@名無史さん:02/11/16 06:29
>>117
日本が戦国時代じゃなかったらって意味じゃないの?
120 :世界@名無史さん:02/11/16 06:35
>>116
ポルトガル国王に、スペインのフェリーペ2世が即位して、無敵艦隊が敗北し
スペインの国力が減退していったことは幸運だった。あと、日本と距離が離れて
いたってのもあるんだけど。当時ヨーロッパからガレオン船が日本まで無事に
たどり着く確率は、だいたい四隻に二隻あればよいという話をどこかで見たよ。
イエズス会宣教師、ペドロ・デ・ラ・クルスの書翰を読んでみると、本当に軍事計画
があってもおかしくなかったって思えるんだよね。
121 :世界@名無史さん:02/11/16 06:40
>>120
大航海時代に、東洋目指して命がけで出航して来た連中は
(キリスト教への改宗とかを除けば)ジパングの黄金だったんでしょ。

戦国期の日本人の気質や、社会の有様を実際に見た連中は、
他の地域とちょっと違って、南北アメリカや中国大陸のように簡単には
いかないぞっと思ったって手記もいろいろ残ってるみたいだし。

まだオスマソトルコがバリバリに元気なので大規模に海軍兵力を外洋に出す余裕は無いと思う。

123 :世界@名無史さん:02/11/16 06:49
>>121
そうだね。第一次巡察期のバリニャーノとかは、軍事制圧もありうるという路線を
放棄してなかったけど、後期になると強硬路線が成功する可能性を低く見るように
変わったんだったね。
124 :世界@名無史さん:02/11/16 06:59

いまUSAとされている領土と、日本列島を丸々交換したとしたら、
日本人1億で、米国民2億よりも豊かで安全な社会を作れると思うんだが。
もちろん、現USAよりも移民を受け入れながら。
(妄想)

125 :世界@名無史さん:02/11/16 07:00

日本から見てハワイよりもこっち側に、カリフォルニアがあって、
その分だけ大西洋が大きかったらなぁ…

126 :世界@名無史さん:02/11/16 21:16

要するに、イギリスみたいに一大帝国を築き、その崩壊後も子弟帝国の覇権下で
第一パートナーの地位を占めれる。そんな立場が狙えたと。

127 :世界@名無史さん:02/11/18 00:37

インディアンは城を作らなかったから負けた。
日本のように石垣で城を作ったら、そうそう簡単には負けない。

>>127
城塞都市は鉄砲以降無力になったという歴史があります
129 :世界@名無史さん:02/12/15 12:40

どうして日本は金鉱が豊富だったのに
南蛮人に植民地化されなかったのか?
鉄砲を国産化したとはいえ、本気で攻めて来られたら
東北か佐渡を奪えたのでは?

130 :アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/15 12:51
>>128
日本の場合は城が強固になったのは、鉄砲以後ですが。
大砲なら、かなり効きますが、爆裂弾でないと脅し程度でしょう。
131 :世界@名無史さん:02/12/15 22:01
>114
>>105
>>インディアンの土地を簒奪

>民族呼称の正確性を云々するのも結構だが、
>その前に日本語を正確に使えよ。

確かに。「簒奪」は誤りで「蚕食」や「侵奪」と
すべきでした。
ご指摘ありがとうございます(105)

さて、ある人の周りに、志を同じくする人たちが
吸い寄せられるように集まってくる、
そのようなパワーを、俗に<求心力>と申します。
1876年6月、リトルビッグホーン川が見たのは、
そういうパワーの発現でありました。
オグララ・スーの偉大な指導者、タタンカ・イヨタケを慕って、
スー、シャイアン、アラパホの人々が結集。
大平原未曾有の大集落を形成したのであります。
(つづく)

132 :世界@名無史さん:02/12/15 22:02
(承前)
その日、世にシッティング・ブルの名で知られる
タタンカ・イヨタケのもとに集結していたのは、
居留地の生活を避け、自由な生き方をつづけてきた人たち。
そして、居留地での宛がい扶持に頼る暮らしにウンザリして、
居留地を抜け出してきた若者たち。
その数、7000とも15000とも言われ、
戦士の数は1500から5000だったと推定されております。

そんなこととは露知らぬカスター中佐。
かつての地位にちなんで、一般に「将軍」と呼ばれおりますが、
第七騎兵連隊600の将兵および
合衆国に味方するクロウ、アリカラの斥候を率いて、
まつろわぬインディアンを討伐せんと
駒を進めておりました。
(つづく)

133 :世界@名無史さん:02/12/15 22:03

(承前)
騎兵隊とインディアンの戦力比600対5000。
インディアンの戦力を少なめに見積もっても600対1500。
もとより衆寡敵せず。
ところが、まさか左様に多くの「敵性インディアン」が
待ち構えていようとは、夢だに思わぬカスターは、
リトルビッグホーン河畔に集落を認めるや、
襲撃に先立って、あろうことか戦力を3分。
ベンティーン大隊を後詰めとし、
リーノー大隊に集落の南端を襲わせ、
自ら率いる大隊は集落の北に回って、
南北から集落を挟み撃ちにする作戦を立てたのであります。
(つづく)

134 :世界@名無史さん:02/12/15 22:04
(承前)
戦いの口火を切ったリーノー大隊は、
インディアン軍の反撃に遭って敗走。
リトルビッグホーン川を見下ろす丘の上に逃げ延びて、
塹壕を掘り、懸命の防戦に務めました。

一方カスター大隊は、リーノーの敗走を知らぬまま
集落の南を襲撃。
インディアンの猛攻を受けて、
全員討ち死にの運命を辿りました。

これが世に言う「第七騎兵隊の全滅」事件ですが、
実際には全滅したのはカスター大隊だけで、
後詰めのベンティーン大隊はもとより
リーノー大隊にも、
ベンティーン大隊に助け出されて
生き延びた者は少なくなかったのです。

135 :世界@名無史さん:02/12/15 22:04
ホカヘイ!
我が勇猛なる連合赤人軍戦士は、
無辜の同胞を殺戮せんと襲いきたりし
鬼畜ワシチュのアキチタを殲滅せり。

最悪の帝国主義的民族排外主義者たる青ムシどもと、
我々と同じウィチャシャでありながら
青ムシどもを先導する斥候として
文字通り米帝の走狗に成り果てた
裏切り者のパラニ、カンギどもの脳天に、
満身の階級的・民族的怒りをこめて、
正義の戦斧を振り下したのである。

輝ける連合赤人軍の勝利萬歳!

しかし、彼らの勝利は長続きしませんでした。

136 :世界@名無史さん:02/12/23 14:48

是非とも続きをおながいします。

北アメリカ大陸の地上に馬はいたんですか?

>>137
はて、馬はアメリカ大陸にはもともと在来種としては存在していなかったというのは
比較的知られた事実だが、改めて地上にと限定されると、地上以外の地下や天上
に馬が存在したのかという疑問も湧いて、なかなかシュールな設問になるな。
139 :とてた:02/12/23 22:22
>>138
「のび太と竜の騎士」ですか…。

>137-138
北米大陸にはウマ(エクウス)はかつては存在したんだけど、
ユーラシア大陸から人類が移住してきてからほどなく絶滅したんじゃなかったかな?

141 :世界@名無史さん:02/12/24 01:54
>137-140

北米大陸にはかつて馬がいました。
いたどころか、そもそもイエウマ(Equus caballus)は
北米大陸に誕生したとされています。

馬のご先祖様であるエオヒップス(曙馬)は、
森林に棲む犬位の大きさでした。
それが、ロッキー山脈の隆起に伴って乾燥化し内陸部に進出し、
次第に大平原に適応した体つきへと変わっていきました。
その過程で、メソヒップス、メリキップス、プリオヒップス
など、さまざまな馬が登場しては消えていきました。
一般に、ウマの進化史は、より大きく、より早く走れる
動物へと変貌をつづけた「定向進化の典型」と
されています(俗説だけど)。

こんなことがわかったのも、北アメリカ大陸の地下に
馬がいたから(化石だけど)。

では、地上の方は?

(つづく)

142 :世界@名無史さん:02/12/24 01:55
(承前)
大平原の覇者、テトン・スー族。
颯爽と馬を駆り、野牛を追ったり騎兵隊と戦った彼らの姿は、
多くの人がイメージする「インディアン」の典型でした。
18世紀末から19世紀後半まで
彼らの暮らしと馬は、切っても切れない関係にありました。

そのスー族の言葉で、馬を「シュンカ・ワカン」と言います。
「シュンカ」は「犬」。「ワカン」は「神秘的な」とか「不思議な」
とかいう意味です。
つまり、「シュンカワカン」とは、
「不思議な犬」という意味になります。
18世紀中葉、初めて馬を見た彼らが、
身近な家畜である
犬になぞらえてそう名づけたわけです。
つまり、その時代にいたるまで、
彼らは馬を見たことがなかったのです。

彼らだけではなく、ヨーロッパ人が来た当時
南北アメリカ大陸の先住民は馬を知りませんでした。
アメリカ大陸は馬の発祥地なのに、
いったいなぜ?
もちろん絶滅したからです。(つづく)

143 :世界@名無史さん:02/12/24 01:55
(承前)
馬が北米大陸で絶滅した原因については、
よくわかっていないそうです。
気候変動で棲みにくくなっていたことに加え、
アメリカに進出してきたインディアンの祖先が
とどめをさしたのだとよく言われますが、
実際には、インディアンの祖先が来た頃には
馬はすでに絶滅していたとも言われています。

インディアンのご先祖様が馬を絶滅させたか
どうかはともかく、
多くの種類の動物を絶滅ないし絶滅の危機に
追いやったことは事実のようです。

そんな昔のことでなくても、
19世紀後半、
北米の野牛(バイソン)が絶滅寸前にまで追いこまれたのは
白人ハンターの乱獲のせいだとよく言われますが、
実際には平原インディアンも結構乱獲していたのです。

144 :世界@名無史さん:02/12/24 02:09
>>142-143
素晴らしい解説有難う御座います。
「インディアン」の歴史・カルチャーに大変お詳しいんですね。
恐縮ですが出典を教えていただけますか?どのような本を
使って「インディアン」史を学んだらよいのでしょうか。
145 :世界@名無史さん:02/12/24 02:25

一段落したら、「その後のインディアン」スレも欲しい。
第二次大戦後の時代に居留地から一歩でもはみ出したものを
射殺しても罪にならなかったとか。
ホント?

146 :( ´_ゝ`):02/12/24 11:14
 せめて戦後日本を見習って「侵略した土地」を返還して、本来の領土(独立十三州)
に戻るくらいの事をやっていたら恨みもかなり帳消しにしてもらえたろうにね(w・・・

 まあ正当化癖に長けた強欲張りの白人にそんな行為を求める事自体無理な相談だが・・・

欧米人がやってきた当時、例の捏造しまくりの地層に埋まっていた原始時代の馬ではなく、
生きている馬はいたのか、という意味の質問でした。

お教え頂き有難うございます。

148 :世界@名無史さん:02/12/24 12:46

↑アメリカの小学校じゃあ、まじでインディアンのことを教えていない州もあるんですぜだんな。
「やはりインディアンは滅ぼされるべきである」ってか。

どうやら、地上には馬はいなかったが、地下には化石として埋もれていたという
のが正解のようだな。
天上のことは神の領域ということで、触れないでおくのが無難というものだろう。

150 :世界@名無史さん:02/12/25 23:14
<一般に、ウマの進化史は、より大きく、より早く走れる
動物へと変貌をつづけた「定向進化の典型」とされている
が、それは俗説である>の出典は
『馬、この愛すべき動物のすべて』(原田俊治、PHP研究所)p85。

<アメリカ大陸でのウマの絶滅が、
過剰殺戮仮説では説明しきれない>の出典は同書p84。

「インディアン史」という概念は「アジア史」と同じく
広漠としていますが・・・・
概説書としては
『アメリカ・インディアン』(W・E・ウォッシュバーン、南雲堂)、
『アメリカ・インディアンの歴史』(富田虎男、雄山閣)、
『アメリカ・インディアン史』(W・T・ヘーガン、北海道大学図書刊行会)、
『米国先住民の歴史』(清水知久、明石書店)
などがあり、新しい本としては
『ネイティヴ・アメリカン――写真で綴る北アメリカ先住民史――』(ハーシュフェルダー、BL出版)があります。

また、西部劇などでおなじみの
スー族など平原インディアンの文化と歴史については
『大平原の戦士と女たち』(アードランド、社会評論社)が読み易いでしょう。

151 :世界@名無史さん:02/12/25 23:15
>145
>第二次大戦後の時代に居留地から一歩でもはみ出したものを
>射殺しても罪にならなかったとか。
>ホント?

インディアンを殺した者が刑を免れるのは、正当防衛に相当する場合か、あるいは余程優秀な弁護士でもつけない限り、無理でしょうね。
ただし、70年代に至るまで、インディアンを殺害したヨーロッパ系アメリカ人に対する刑量が不当に小さいということはありえたようです。
戦うインディアン組織AIM(アメリカン・インディアン運動)が73年にウンデッドニーで武装蜂起したきっかけの一つが、当時相継いで出された、インディアン殺害者に対する不当に軽い判決でした。

152 :世界@名無史さん:02/12/27 20:53
>>150
ありがとうございます。「インディアン」史の広漠さに関しては
見落としていました。アカデミックな返信いつも、感心させられます。
平原インディアン(ラコタ、シャイアン、アラパホetc)にはとても
関心があるのでまたの機会に書き込みさせてください。
153 :世界@名無史さん:03/01/02 20:54

「インディアン」とニューエイジ・ムーヴメントとの関係を
調べています。どうやって彼らのイメージがムーヴメントに
取り込まれていったんでしょう。どなたかよい文献を
教えてください。

154 :世界@名無史さん:03/01/04 01:21

>153
いわゆる「インディアンのスピリチュアリティー」なるものが
ニュー・エイジャーと呼ばれる人々の注目を
集めるきっかけとなったのは、
オグララ・ラコタのメディシンマン、ブラック・エルクが語ったことを
もとに詩人のジョン・G・ナイハルトが著した
『ブラック・エルクは語る(Black Elk Speaks)』だと思われます。
同書は、1932年の初版がたちまち絶版となった後、
ユングらの再評価によって息を吹き返し、
さらにはニューエイジャーの「経典」的存在となりました。
この間の事情は、めるくまーる社から2001年に出版された
同書日本語訳(『ブラック・エルクは語る』)巻末の
阿部珠理さんによる解説がわかりやすいでしょう。

155 :世界@名無史さん:03/01/04 01:23
154の蛇足
因みに・・・・インディアンの中には、「ニューエイジャー」が
インディアンの儀式のマネッコをしたり、
メディシンマンの中にニューエイジャヤーの求めに応じて
非インディアンに(しばしば有料で)儀式を施す人がいることを
苦々しく思っている人が少なくないようです
(まあ、「苦々しく思う」その心中には、
いたいけな非インディアンを騙くらかして上手く金もうけをする同胞への
嫉妬心が全く含まれていないとは言い切れないかもしれませんが)。

なお、ニューエイジャーはじめ、インディアンになりたがる人たちに対し、
インディアン自身がどういう感情を抱いているかは、
インディアン系作家シャーマン・アレクシーのミステリー小説
『インディアン・キラー』(99年、東京創元社)がわかりやすいと思います。

インディアンとニューエイジというとカスタネダ?
インチキがばれたけど。

先住民から土地を奪って成立したアメリカか世界の警察なんて言ってるのは笑止。
158 :世界@名無史さん:03/01/06 14:32
>>154-155
ありがとうございます。ニューエイジャーがどのように
「インディアン・スピリチュアリティ」を受容して行ったのか、
その過程そのものをリサーチしています。「ブラックエルク」は
持っています。どんどん読み進んでしまう好著ですね。
「ラコタの伝統文化とアイデンティティの変容」という観点で
極めて重要度の高い作品だと解釈しています。
159 :世界@名無史さん:03/01/06 15:24
アメリカではアメリカンインディアンって全然放送禁止用語じゃないよ。
大リーグのインディアンズだってそのまま改名無しでやってるじゃん。

ニガーやニグロとは次元違うよ。

160 :チャーチル:03/01/06 18:18

お聞きします。僕は受験生っす。インディアンの抵抗の話で
1890年の「ウーンデッドニーの虐殺」という事件があるのですが
用語集にもまったく記述がなく分かりません。受験レベルではないの
かもしれないんですがご存知の方いたら教えていただけるとうれしいっす。
おねがいしますー。

161 :アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/01/06 18:37

映画に良く出てくる、パイプの回し飲み(吸い)てホントに行われた儀式なの?

163 :チャーチル:03/01/06 20:03

ありがとうございます。見ました。
有り得ないですね・・合衆国政府ってのは・・

164 :世界@名無史さん:03/01/06 23:27
>158
頼もしい方が現れましたね。
ご研究の視点とは異なるかもしれませんが、
「ラコタの伝統文化とアイデンティティの変容」
と多少関連する観点から書かれたものとして、
去年ミネルヴァ書房から出版された
『ネイティヴ・アメリカンの文学』所収の
「北米インディアン口承文学の伝統と『ブラックエルクは語る』」
があります。
165 :世界@名無史さん:03/01/06 23:31
>159
>アメリカではアメリカンインディアンって全然放送禁止用語じゃないよ。
>大リーグのインディアンズだってそのまま改名無しでやってるじゃん。

「インディアン」が必ずしも差別語ではないことに関しては、
既にこの掲示板の101-103、108-111に記されてあります。

しかしながら、「インディアン」も使いようによっては
(つまり、差別的な意図で使われた場合には)差別語になりえます。
とりわけ、スポーツチームが名称(レッドスキンズなど)や
応援の仕方(トマホーク・チョップなど)でインディアンを差別的に扱うことに関しては、インディアンの側から「不快なり」として激しい抗議が出ています。
でも、やめない。

日本だったら、そのような抗議が出れば、反省して改名したり自粛したりするところでしょう。
それなのに、しつこく続けている点に関しては、アメリカ社会の民族問題に対する意識は日本よりも低いと思わざるをえません。

166 :世界@名無史さん:03/01/06 23:35
>162
>映画に良く出てくる、パイプの回し飲み(吸い)てホントに行われた儀式なの?

北米のほかの地域・民族に関しては
必ずしも当てはまらないかもしれませんが、
西部劇映画によく登場する大平原のラコタ族の場合、
火皿が「キャトリナイト」と呼ばれる赤い石材で作られた儀式用パイプは、
「チャヌンパ・ワカン」、即ち「聖なるパイプ」とされています。
客人をもてなす時や、重要な話し合いの際には、
そのようなパイプで煙草を回し飲みしました。
今でも彼らの宗教儀式には、同じ風習が見られるものがあるようです。

167 :世界@名無史さん:03/01/09 04:13

どっか、面白いインディアンの歴史や風習のサイトってないですか?

168 :世界@名無史さん:03/01/09 05:19

インディアンは滅ぼさるべきである!

169 :世界@名無史さん:03/01/09 05:21

キリスト教は正義。
だから勝利者である。
他は邪教である
だから負ける。

170 :世界@名無史さん:03/01/09 14:00

(^^)

172 :世界@名無史さん:03/01/15 01:56

マニアックな質問で恐縮です。
何かの本でフランス・パリにラコタ族を扱った店(レストラン?)が
あるらしいのですが、どなたかご存知ですか?
もしご存知でしたら、どんなことでも結構ですので
お教えいただけませんでしょうか。

173 :世界@名無史さん:03/01/15 02:55

カナダの話題で恐縮ですが、十数年前にトロント市近郊のオカ市で
居留地でのゴルフ場建設を巡ってモホーク族の抗議デモと市・州との対立がエスカレートし、
最後には州軍と数週間にわたる銃撃戦を繰り広げた末に鎮圧され、指導者は逮捕されたという
「モホーク市民戦争(モホーク族側の呼称は地名にちなみ「カネサタケの戦い」)について
詳しくご存知の方いますか?
 白人対先住民の武力衝突としては(ウンデッド・ニーVSFBI以来の)
最も最近の例と思うのですが。

174 :世界@名無史さん:03/01/25 22:08

良スレage


どのように多くの町、メキシコの
175 :世界@名無史さん:03/01/25 22:41
>172パリのラコタ食堂
かなり以前に週刊インディアン新聞か何かで
読んだことがあるような、ないような・・・・

ちなみに、ラコタの有名な指導者の名前をつけた
ウルトラ有名なナイトクラブなら知っていますが、
何しろウルトラ有名な店なので
全然マニアックじゃないですね。愚答スマソ

176 :世界@名無史さん:03/01/25 22:43
>173 カネサタケ

1990年、ケベック州モントリオール市郊外のオカ市の近くにある
モホークの墓地に、ゴルフ場が拡張されようとした(9ホールだったのを
18ホールにしようとした)とき、これに反対するカナワケ・モホークの人たちが
バリケードを築き、これにAIMも参加。当局とドンパチやった事件ですね。

ところで、お知りになりたいのは、この事件そのものに関してでしょうか?
それとも、この事件を詳しくご存知の方とお知りあいになりたいということ
なのでしょうか?
事件そのものを知りたいのであれば、biglobeやyahooで
Oka 及び Mohawk をキーワードに検索すれば
死ぬほど情報が得られますよ。

177 :173:03/01/25 23:30

>176様どうも情報ありがとうございます。ホントだ、検索したらこんなに有名事件だったんですね。

178 :世界@名無史さん:03/01/26 10:20
ところで、モホークの人たちは、
スーやアパッチとは全く違う暮らしをしていました。

モホーク族は、ニューヨーク州の内陸部から
カナダ南部にかけて住む、イロコイ族の一員です。

イロコイは5つの部族(後に1部族が加わり6つになった)の
連合体です。だからカナダでは Five Nationsと呼ばれます。
モホークはイロコイ5部族の中で一番東に住む人たちです。

この隣り合って住む5つの部族は、かつて互いに争っていました。
しかし、ハイアワサという名で知られる(本当の名前は
発音が異なる)指導者によって部族連合体としてまとめられました。
各部族の独立を尊重しつつ、連邦としてまとまるという政治形態は、
合衆国の政体の手本になったといわれています。

(つづく)

179 :世界@名無史さん:03/01/26 10:21
(承前)
皆様も多分ご存知の映画、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」。
主演・監督を務めたのがケビン・コスナーという俳優であることを
ご存知の方も多いと思います。
インディアンをネタにして、しこたま儲けたコスナー氏、
罪滅ぼしのために(?)"500 Nations"なるTV番組シリーズを
制作しました。北米のインディアンの国々はざっと500。
彼らが、外来者であるヨーロッパ人に
どんなにヒドイ目にあわされたか、
インディアン対ヨーロッパ人の戦いの歴史を
CGやインディアンの証言をふんだんに交えて作った番組です。
TV放送の後、8巻セットのビデオとして販売され、
amazon.comでも入手が可能です。

ところで、国が500もあっても(実際にはもっとずっと
多かったのですが)、
文化や生活はどれも似たりよったりなんじゃないかと
思う皆さんも多いことと思います。
でも、それがそうでもなかったのです。

そんなのは、インディアン史の基礎の基礎、
知っている人は当然知っている話ですが、
何しろ基礎ですから、知らないとお話にならないのであります。

(つづく)

180 :世界@名無史さん:03/01/26 10:21
(承前)
インディアンというと、大抵の人が、
三角錐のテントに棲み、馬に乗って野牛を追っていた人たちを
思い浮かべることと思います。
そして、頭に羽で作った派手な飾りを被った指導者が、
仲間の戦士とともに馬を駆って、騎兵隊と渡り合うのであります。
まさに「ダンス・ウィズ・ウルブズ」はじめ
西部劇でお馴染みの姿ですね。

西部劇などで広まったこのイメージがあまりに強烈であったため、
インディアンといえば全てがああいう格好をし、
ああいう生活を送っていたと思ってしまうのも
ムリはないところがあります。

でも、ちょっと考えてみてください。
皆様もご存知のニューヨークやロサンゼルスは、
ああいう暮らしができたるような風土だったでしょうか?

(つづく)

181 :世界@名無史さん:03/01/26 10:22
(承前)
多くの西部劇の舞台は、
アパッチ族などの住む南西部の砂漠地帯を別にすれば、
北米中央の大平原であります。
北米の大平原は、アジアで言えば、モンゴル高原みたいな気候風土です。

モンゴル高原だけがアジアの気候風土ではないのと同じように、
広大な北米大陸にも様々な気候風土があります。
ニューヨークのある一帯は、日本の北海道にも似た、
針葉樹と落葉広葉樹が交じり合う森に覆われていました。
ロサンゼルスはじめカリフォルニアは、常緑広葉樹が茂る森。
同じ西海岸でも、カナダのバンクーバー付近は、
杉や桧に似た針葉樹の巨木にうっそうと覆われています。

つまり、北米大陸の全てが、だだっ広い平原ではないのです。
気候風土が異なれば、暮らしも異なります。
野牛のいない所では野牛に頼る暮らしはできませんから。

平原インディアンだけがインディアンだと思うのは、
モンゴル平原での暮らしがアジアの暮らしの全てだと考えるのと
同じようなものなのであります。

(つづく)

182 :世界@名無史さん:03/01/26 10:24
(承前)
これだけ言っても、やっぱり「インディアンは狩猟民族だった」
と思ってしまう皆さんも多いんでしょうね。

インディアンには狩猟民族もいれば、
漁労で生計を立てていた人たちもいる。
農業で暮していた人たちだって多かったのです。
アジアの諸民族のすべてが狩猟民族でないのと同じことです。

さて、ニューヨーク州内陸部からセントローレンス川流域に
住むモホークなどイロコイの人たちは、
骨組みを樹皮で覆った「ロングハウス」と呼ばれる家屋に住み、
村を作って定住。農耕や交易で暮らしを立てていました。
鹿などを狩ることはありましたが、食物を得る手段としては
狩りの獲物よりも畑で採れる作物に依存していたのです。

183 :よろずこ:03/01/26 11:36
>>180
×三角錐のテント
○円錐のテント

底面が三角形のテントで寝泊りは大変だぞ。

184 :世界@名無史さん:03/01/27 22:11

>175
Parisのラコタ・レストランに関するレス、どうもありがとうございます。
引き続き情報を探していますので、よろしければまたレス下さい。

185 :世界@名無史さん:03/02/01 12:45
>185 パリのラコタ・レストラン

週刊Lakota Times(現Indian Country Today)
1992年6月10日号に紹介記事が載っていました。
それによりますと、
レストランは92年の年末にオープン予定。
レストランの名前はTipi。

Natalie Catalaさんと、Sylvie Ratonさんという
サウスダコタ州ヤンクトン出身の二人の女性が
ラコタ/ダコタ、ズニ、ナバホなどのインディアンのお友達に
習った料理を出す予定とのこと。

揚げパンやウォジャピ(果物のプディング)のほか、
野牛や鹿や兎や雉の肉を使った料理を提供する予定だ
そうです。

もっとも、ラコタやナバホの料理は、そのままでは
フランス人の舌に合わないので、フレンチ風にアレンジ
します。

レストランの壁にはインディアンの工芸や
歴史と現状を紹介する写真を飾り、
また、アトラクションとしてインディアンの歌や踊りも
披露する予定だそうです。

この計画は、その後どうなったのか、
ラコタ・タイムズを調べましたが、
関連記事を見つけることは
できませんでした。

186 :世界@名無史さん:03/02/03 16:22
>>185
どうもありがとうございます。とても助かります。
おかげで何とか見つけられそうです
187 :世界@名無史さん:03/02/25 14:27

禿

188 :_:03/02/25 14:34

(^^)

インド人に「インディアン嘘つかない」って言ったらどんな反応するんだろう。

ていうか、アメリカ語で「インド人」のことなんていうの?

191 :世界@名無史さん:03/03/22 13:13

「インディアン」

192 :世界@名無史さん:03/03/22 18:24

すみません、根本的な疑問なんですが、
イギリスから大陸に移民する前は、あの広大な土地に
原住民が少数しか住んでいなかったのですか?
もしそうならなんでなんでしょうか?
あれだけ広大な大陸ならもっと人がいてもよさそうなもんですが…

193 :世界@名無史さん:03/03/22 18:27
>>192
今現在はホワイトの牙城と化している東部沿岸には、
沢山のネイティヴアメリカンが住んでいました。
彼らは文字通り女子供老人にいたるまで「絶滅」させられたのです。
194 :世界@名無史さん:03/03/22 18:30

アボリジニーは生き残っていたから問題になりましたが、
もっとも肥沃な東北海岸に住んでいたネイティヴアメリカンは、
ひとり残らず殺されたために問題にもなりませんでした。
東海岸には西海岸と同じような豊かな魚類と哺乳類が居ましたが、
それらは白人によって取り尽くされてしまいました。

195 :世界@名無史さん:03/03/22 18:37
>>193
>>194
そうだったんですか!
教えて頂きありがとうございます。
そんなこと歴史の教科書やその他のことでは
一言も述べられてないですよ!

おかしいですね。

196 :世界@名無史さん:03/03/23 06:10
白人到達時の北米のインディアンの数についてははっきりしない。
ただ、「絶滅」というか、西部へと追い立てられたのであって、
「ひとり残らず殺された」という訳ではない。

もちろん戦争や病気で激減したのは本当だし、白人社会に同化した者もいた。

それと、実は17〜18世紀頃のインディアン同士の戦争も熾烈なもので、
英仏蘭の植民地戦争の手ゴマに使われたりもしている。

捕虜にした敵対部族員を白人に奴隷として売り渡す、とかな。
そうやって鉄砲とかの文明の利器を手に入れる訳だ。

197 :世界@名無史さん:03/03/23 12:20
現在のインディアンはあんまし同情できませんね

政府の補助金を生活のためでなく酒、煙草、麻薬などに使ってしまい
ただでさえ高い失業率をさらにageています
その補助金も配布される部族をめぐってインディアン同士提訴合戦

ちゃんと観光などで生計を立てているインディアンは
誇りを捨てたなどと言われ馬鹿にされている

悲惨

198 :世界@名無史さん:03/03/23 13:05

インディアンもびっくり

199 :世界@名無史さん:03/03/23 17:21
>>197

日本のB地区みたいですね。

200 :世界@名無史さん:03/03/23 23:31
>190
>ていうか、アメリカ語で「インド人」のことなんていうの?

英語では、「インド人」のことも「アメリカ先住民」のことも
インディアン(Indian)といいます(「アメリカの先住民」は、
正式にはAmerican Indianですが、状況次第では、Americanを省き、
Indianだけで「アメリカの先住民」を指すこともよくあります)。

ところで、言葉には人々の思考を縛る側面があるように思われます。
英語のIndianに「インド人」と「アメリカ先住民」の両方の
意味があるばかりに、英米の人たちには、
「なぜアメリカ大陸の先住民がインド人と呼ばれるのか?」
という疑問が起こります。そして、その答えとして、
「コロンブスはインドに到着したと思い込み、そこの住民を
Indian(インド人)と呼んだ」
という説明がなされるのが常です。この説明は、英語で書かれた
歴史書に散見し、また、日本人が書いた北米インディアン関連
書籍にもよく見られますが、誤りです。
まあ、大きな誤りとは言えないまでも、不正確です。

コロンブスがめざしたのは「インド」ではなく「インディアス」、
すなわち日本や中国も含む東アジアだったのです

201 :世界@名無史さん:03/03/23 23:32
>195
>そんなこと歴史の教科書やその他のことでは
>一言も述べられてないですよ!

それはそうでしょう。そのような事実はないからです。

いささか古いですが、1990年の国勢調査によりますと、
合衆国北東部諸州には、次の人数のインディアンが住んでいます。
メーン州5998人。バーモント州1696人。
ニューハンプシャー州2134人。マサチューセッツ州12241人。
ロードアイランド州4071人。コネチカット州6654人。
ニューヨーク州62651人。ニュージャージー州14970人。
ペンシルバニア州14733人。デラウェア州2019人。
メリーランド州12972人。ワシントン特別区1466人。
彼ら14万人あまりの人たちを勝手に抹殺したり
「西部へと追い立てられた」ことにしないで欲しいものです。

それに、コネチカット州のピーコット族居留地でカジノが
繁盛しているというニュースとか、聞いたことありませんか?

202 :世界@名無史さん:03/03/23 23:34
>192
>イギリスから大陸に移民する前は、あの広大な土地に
>原住民が少数しか住んでいなかったのですか?
>もしそうならなんでなんでしょうか?
>あれだけ広大な大陸ならもっと人がいてもよさそうなもんですが…

北米大陸の広大な土地の大半は、多くの人口を養えない風土です。
今だって、亜極北のタイガや、西部劇でおなじみの大平原、
グランドキャニオンで知られる南西部、死の谷がある西部
大盆地などには、広大な大地が広がるばかりで、人口は希薄です。

一方、現在多くの人が住む、合衆国南部地方や、カリフォルニア、
ミシシッピー川流域などには、先住民も多く住んでいました。
しかし、ヨーロッパなどを起源とする諸々の伝染病によって死ぬ人が
少なくありませんでした。インディアンにはそれら伝染病への
免疫がなく、はしかに罹っただけで死ぬこともありました。
多くの人が集まり住んで農業を営んでいたような地域では、
伝染病の被害は特に甚大でした。先住民人口の9割くらいが
伝染病で死んだという説もあります。

203 :世界@名無史さん:03/03/23 23:43
>>201
>それはそうでしょう。そのような事実はないからです。
この表現も良くないと思うが?
何万人ものネイティブが天然痘(16世紀まで北米に天然痘は無かった)
の膿を塗られた毛布やら戦争やらで殺されている。
14万人というが、つい100年前はネイティブの総人口は50万まで
抹殺されていたのも事実。1970年の立て篭もり事件が起こらなけれ
ば彼らの生活圏は奪われたままだった。それに彼らのほとんどが、保護
法以降に東部に強制移動させられた子供たちです。
204 :とてた:03/03/23 23:46
>>194
アボリジニもオーストラリア東南部に大勢住んでました。
病気・虐殺・追い出しは、こっちの方がヒドいかと。
205 :世界@名無史さん:03/03/24 01:24
>>201

14万人というが、
それは「たったの」14万人というべき。
それだってかなり回復しての数字だろう。

絶滅に近い打撃を受け、
生き残りの多くが追い立てられていったのも事実。

206 :世界@名無史さん:03/03/24 07:52
201
>195,203

インディアンが日本語を読めないからといって
彼らが聞いたら怒りと悲しみを感じるようなことを書き込むのは
いかがなものでしょう?
だって、現実に生きているのに、絶滅させらたことにされてしまって
いるのですから。
14万人の存在を無視するのは、失礼かと存じます。

>205
>14万人というが、
>それは「たったの」14万人というべき。

合衆国の先住民の総人口が約196万(1990年当時)であることを
考えると、北東部という限られた地域での14万は、全体の中で
そう小さいとも思えません。

207 :世界@名無史さん:03/03/24 07:53
201
>203
>何万人ものネイティブが天然痘(16世紀まで北米に天然痘は無かった)
>の膿を塗られた毛布やら戦争やらで殺されている。

インディアンが激減した一番の原因は、天然痘やコレラなど、外来の
伝染病と思われますが、それはヨーロッパ系の人たちが戦争の一環
として意識的に広めた(ポンティアックの乱などではそういう作戦も
取られたようですが)というよりも、交易等、平和裏の接触でうつされ、
インディアン同士の接触により広まったものと考えられます。彼らもバカ
ではないから、「天然痘付き毛布プレゼント作戦」に
そう何度も引っかかるとは思えません。

208 :世界@名無史さん:03/03/24 07:55
201
>203
>1970年の立て篭もり事件が起こらなけれ
>ば彼らの生活圏は奪われたままだった。それに彼らのほとんどが、保護
>法以降に東部に強制移動させられた子供たちです

1960-70年代の闘争の結果、インディアンが一定の権利の回復を
勝ち取ったのは存じておりますが、小生、不勉強にして、「生活圏」を回復
した例を知りません。カナダのイヌイトのヌナブット準州などのことを
指すのでしょうか?
また、「保護法以降に東部に強制移動させられた」というのも初めて
知りました。「保護法」とは何を指すのか、また、その法律に基づき
東部に強制移動させられたとは、いつのどのような事例をさすのか、
根拠となる資料等ご教示いただけると幸いに存じます。

209 :世界@名無史さん:03/03/24 13:30
>>208
保護法は1880年代に作られたインディアンの子女に対する文明人化教育のこと
と思われ。
インディアンの子女が強制的に親元から東部の教育施設に送り込まれた。送り込ま
れた子供の1/3がストレスで死亡した痛ましい法律。その時の子供達はそのまま
東部アメリカに残った。
1840年代には米国からインディアンの強制退去が行われ、現オクラホマ州など
に移動させられている。これが引き金で南北戦争時に大多数のインディアンが南部
側に同調して軍事行動を起こしている。
210 :世界@名無史さん:03/03/25 23:28
201=208

209さん。ご教示ありがとうございます。ご教示の「東部の教育施設」
とは、1879年に居留地外初の政府運営全寮制インディアン学校として
ペンシルバニア州に設立されたカーライルインディアン学校等を指す
ものと存じます。子供を東部の全寮制学校へ入学させるよう、親に強く
勧める(ないし、圧力をかける)ことが「東部に強制移動させられた」との
表現になるとは、気づきませんでした。
ただ、
@同校設立後も、全寮制インディアン学校の多くは居留地内ないし
居留地近辺に設立されたようです。また、
A「卒業後はほとんどのインディアンの子供が白人社会の中に生活の
場を求めず、父母のいる家庭へ帰っていく実態」(「アメリカ先住民
アリゾナ・フェニックス・インディアン学校」(明石書店)序章)があった
ようで、彼らが学校でご教示のような痛ましい経験をしたとすれば、
卒業後は一目散に親元に帰ったのも、もっともと思われます。
従いまして、ご教示のように、「東部の教育施設」に送り込まれた子供が、
現在の合衆国北東部のインディアン14万人の祖先とは考えにくいの
ですが、いかがでしょうか。
なお、南北戦争に際し、オクラホマ準州に転住したインディアンが
アメリカ連合(南軍)に味方したとすれば、それは、奴隷所有者である
部族指導層の思惑によるところが大かと思われます。

211 :世界@名無史さん:03/03/25 23:29
201 インディアン学校と歴史の教訓

ヨーロッパ系アメリカ人だって、根っからの鬼畜ではないでしょう。
むしろ、彼らの一人一人は、慈愛に満ち、善意に富んだ人である
場合が多いように思われます。
なのに、アメリカは嫌われる。アメリカは世界の鼻つまみ者です。
それは、彼らの「慈愛」や「善意」のありようが問題なのだ。

全寮制インディアン学校を設立・運営した人たちだって、決して
インディアンの子供を苛めたり困らせたりするのがねらいではなく
「これからのインディアンは、白人の道を歩まねばならない。そのため
に、子供らは部族の言葉を捨てて英語を学び、部族の生活を捨てて
白人のように生活できるようにしなければならない。それが彼らの幸せ
なのだ」と信じていた筈で、そのような彼らの「善意」は疑えません。
しかし、それはまさにインディアンを文化的に抹殺することに他ならない。
民族を物理的に抹殺するに劣らぬ、非道なる文化的虐殺であります。
彼らが自分たちの文化・生活・制度を世界一と無邪気に己惚れるのは
彼らの勝手ですが、それをむやみに押し付けられては、
押し付けられる方にはありがた迷惑、ありていに云えば迷惑千万です。
そのやうな思考回路を「独善」と云ふ。
どうもヨーロッパ系アメリカ人には、いつまでたってもこのことが理解でき
ないようです。しかも、彼らのおためごかしの「善意」の裏には、しばしば
自分自身の利益追求という目的が隠されています。そのやうな「善意」を
「偽善」と呼ぶ。今中東で起こっていることは、まさに彼らの「独善」と「偽善」
の発現と思われてなりません。だからアメリカは嫌われるのだ。

212 :とてた:03/03/26 00:00
>>211
…日本も似たようなコトしましたけどね(アイヌ、琉球)。
213 :世界@名無史さん:03/03/26 00:27

ポカホンタスはどーやって氏んだの?アメリカ人の友人で反ディズニーファンの
人は、あの映画は欺瞞だらけだーって言ってたけど。そいや、アダムスファミリー
でもなんか言ってたな。

>>212
漏れらをお忘れでないかい?
215 :とてた:03/03/26 22:34
>>213
たしか、イギリスに連れて行かれて病気で…じゃなかったかと。
>>214
>>212は「近代国家」成立時でのことですから。
216 :世界@名無史さん:03/03/27 17:01

どうしてアングロアメリカでは混血が大量に生まれなかったの?
プロテスタントは混血を嫌う純血主義なの?
南アフリカやナチスドイツのように?

>…日本も似たようなコトしましたけどね(アイヌ、琉球)。

あのー日本人の身体的特徴を知らないのですか。一般朝鮮人より
毛深い。また、宗教はもともとどちらもカミまたはカムイを祭った
アニミズムで、互いに影響しあいながら国を作っていったんです。
琉球は、沖縄方言は古代日本語ですし。

アングロサクソンとインディアンは一方的な駆逐ですよ?

中国が現在チベットでやってる事の方が
よっぽどインディアンと合衆国の例に似てるんじゃ?
虐殺の度合いといい、文化殲滅政策といいさ。


弥生人と縄文人の関係は、インディオとラテン人の関係かもな。

日本の場合支配階級は高い文化をもった大陸人と容姿が近かった。
また公家のように原住民との混血をさけていたグループが存在。
平民は原住民とメスティソ化していった。
そうしているうちに支配階級が大陸との関係がなくなっていき
各地のメスティソが武装しだしたのが武士だったのではないかな?

妄想でした。

それを言うなら中国や朝鮮はどうなるって話になるな。
外来の民族が侵略して混血をさけたり、同化したりして最終的に中国人、朝鮮人が成立してきたわけだ。
「大陸」って言っても単一の大陸民族なんて存在してないわけだし。
現在の中国や朝鮮があるのも、侵略と併合で朝鮮原住民、シナ大陸原住民を駆逐、強制同化していった結果じゃん。
中国は征服された民族側の文化や言語の違いはほとんど異民族、外国人だもんな。日本の比ではない。
それが最終的に侵略されて独自性を奪われ、消滅の道を辿る。

>どうしてアングロアメリカでは混血が大量に生まれなかったの?

やつらはドイツ人にユダヤ人虐殺だのなんだのいうが。
何百万人も北米大陸に住んでいたインディアンを駆逐したのはいいのか?

要するに勝てばなんでもおOK、弱肉強食って事だろ。
イラク攻撃にしてもロシア中国などが睨みを効かしていなければ民間人
同じようになんかバンバン虐殺しまくってるぜきっと。
結局弱い物、宣伝力のないものは死滅するってことだ。

今回、中国ロシア、西洋、アラブなど宣伝する相手があってからいいものの。
仲間がいなければ自滅するだけ。これが自然界の掟。いや民族なんてものは
大体にしてそんな物に過ぎない。

ホカヘー!カスター将軍に負けるな。同胞よ。

223 :世界@名無史さん:03/03/27 18:46
224 :世界@名無史さん:03/03/28 01:34
>>216
>どうしてアングロアメリカでは混血が大量に生まれなかったの?

ラテンアメリカは大プランテーション偏重で、
そこで働く先住民は既にインカやアステカで組織労働を経験していた。
つまり先住民は支配層にとって必要なものだった。
という訳で、混血も多い。

アングロアメリカではプランテーション以外に(白人の)自作農が極めて多く、
その自作農は当然ながら奴隷を使用しなかった。
そしてアングロアメリカの先住民は組織労働の経験がなかった。
その結果、先住民は単なる害虫として扱われ、駆逐されていった。
という訳で、混血も少ない。

もちろん奴隷になった者も多いが、黒人の方が労働力として使えたらしい。

あと、アングロアメリカの特に北部では最初から夫婦連れで移民してくる者が多かった。

225 :世界@名無史さん:03/03/28 08:19
>216
>どうしてアングロアメリカでは混血が大量に生まれなかったの?
>プロテスタントは混血を嫌う純血主義なの?

アングロアメリカでも、カナダではインディアンとフランス系との間に
多くの混血の人たちが生まれ、メイティ(Metis)と呼ばれる
グループを形成しております(詳しくは山川出版社の『カヌーと
ビーヴァーの帝国』をご覧ください)。
フランス人はもともとラテン系ですね。
やはり、アングロサクソンには混血を嫌う体質があるのかも。

ちなみに、アメリカ製西部劇では、白人と結婚したインディアンは、
男女を問わず殺されてしまう例が多いようです。
『ソルジャーブルー』『馬と呼ばれた男』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』など
「インディアンの側に視点を置いた」と称する映画においても例外では
ありません(最後の例ではヒロインの元夫のインディアンはあらかじめ
殺されています)。「白人と結婚するインディアンは死刑!」という意識の
表われでしょうか。

226 :世界@名無史さん:03/03/28 16:03
フランス領の白人植民者には単身者が多かった。
(初期以外の)フランス領やスペイン領はカトリック以外の移民は禁止だったが、
イギリス領にはそのような制約は基本的に無く、
本国で国教会に迫害される清教徒やカトリックが家族連れで移民してくることが多かった。
(プリマスのピルグリムファーザーズがその典型)

それと、フランス領の主産品は毛皮。
これは先住民の助けがなければ入手出来ない。
イギリス領の農業では>>224の通り先住民は必要とされない。

イギリス領では先住民との毛皮取り引きを重視する植民地政府と
農業重視の白人農民とが対立し、西部の農民が勝手に先住民を攻撃した例がある。

227 :世界@名無史さん:03/03/30 23:03
226さん
ご高説には、やや理解しにくいところがあります。

>(初期以外の)フランス領やスペイン領はカトリック以外の移民は禁止だったが、
>イギリス領にはそのような制約は基本的に無く、
>本国で国教会に迫害される清教徒やカトリックが家族連れで移民してくることが多>かった。

移民がカトリックであることと、家族連れでないこととに、何か関係があrのでしょうか?
カトリック教徒は家族連れでの渡航を禁じられていたのでしょうか?
ご高説中にも、「イギリス領では清教徒やカトリックが家族連れで移民」
とのことですから、カトリックだって家族連れできてもおかしくないのでは?


マンソン滝

仏領や西領では男たちが自発的に渡米したが、英領では被迫害者が
家族を連れて移民してきた、というご趣旨でしょうか?
しかし、英領におきましても、バージニア植民地に見られますように
必ずしもその例に当てはまらない場合も多いのではないでしょうか?
また、典型例としてご指摘の「プリマスのピルグリムファーザーズ」
にしましても、102人中男性は48人、女性24人、未成年者30人と、
男性の方がずっと多かったのですから、あぶれた男性は、もしも禁忌さえ
なければ、もっとインディアン女性と交際してもよかったのでは?

228 :世界@名無史さん:03/03/30 23:04
227(つづき)
>それと、フランス領の主産品は毛皮。
>これは先住民の助けがなければ入手出来ない。

イギリス領カナダを支配した特許会社・ハドソン湾会社が、毛皮交易を
主目的とするものであったことはご存知のこととと思います。

毛皮交易の態様として、フランス人はクルール・ドゥ・ボア
(coureur de bois,森の走者)と呼ばれる人たちが積極的にインディアンの
間に入っていった(従って、インディアン女性を妻にする例も多かった)のに対し、
イギリス人は交易所を構えてインディアンの猟師ないし仲買人が
毛皮を持ってくるのを待つという商法だったようです。

このように、同じ毛皮交易でも、インディアンに対する接し方を比較すると
そこに両国の国民性の違いが反映していると言えるのではないでしょうか?

229 :世界@名無史さん:03/03/30 23:05
227(つづき)
>イギリス領では先住民との毛皮取り引きを重視する植民地政府と
>農業重視の白人農民とが対立し、西部の農民が勝手に先住民を
>攻撃した例がある。

具体的には、いつのどの事例を指しているのでしょうか?
ご教示いただければ幸いに存じます。

なお、北米南東部・南西部で灌漑施設などを含む農業が営まれ、
特に南東部を中心とするミシシッピー川文化圏においては
壮大なマウンドがいくつも築かれていたことを考えると、
「アングロアメリカの先住民は組織労働の経験がなかった」
との224さんのご指摘には、理解に苦しむところがあります。

230 :世界@名無史さん:03/03/30 23:06
227(つづき)
アングロアメリカで混血が大量に生まれなかった原因のすべてを
アングロサクソンとラテンの文化的体質(国民性)の違いに帰するのは
無理があるとは思います。

おそらく、アングロアメリカとラテンアメリカでは、
先住民人口の絶対数も、先住民と外来者との人口比率も、大きく異なり、
後者においては先住民が絶対的にも相対的にも多かった
というような事情も、両地域での混血の寡多に
関与しているかと思われます。

しかし、アングロとラテンの人種混交に対する寛容度の違い
といった要素も、丸っきり無視はできないのではないでしょうか?

231 :世界@名無史さん:03/03/30 23:46

イギリス領に移民したのはアングロサクソンだけではないでしょう。
ドイツのプロテスタント諸派、スコッチアイリッシュ、フランスのユグノー
も大勢移り住んでいます。
人種混交に関しては宗教の違いが大きいのでは?

232 :224=226:03/03/31 00:42
>具体的には、いつのどの事例を指しているのでしょうか?
>ご教示いただければ幸いに存じます。

1676年にヴァージニアで起こった「ベーコンの反乱」のこと。
西部の土地獲得を目指す白人開拓民と東部のプランター
(植民地政府を握り、先住民との毛皮取引をしていた)が対立し、
前者が独自のインディアン討伐軍を組織、さらに植民地政府とも交戦した事件。

>なお、北米南東部・南西部で灌漑施設などを含む農業が営まれ、
>特に南東部を中心とするミシシッピー川文化圏においては
>壮大なマウンドがいくつも築かれていたことを考えると、
>「アングロアメリカの先住民は組織労働の経験がなかった」
>との224さんのご指摘には、理解に苦しむところがあります。

確かに一括して「アングロアメリカの先住民」という表現をしたのはまずかった。
ただし、イギリス領の中心であったチェサピーク湾やニューイングランドの先住民
はまた違う文化圏だった。

もうひとつ。イギリス領地域のうち実際に植民地時代に開拓されたのは東海岸の
ごく限られた地域。白人が本格的にアパラチア山脈の西へと進出する頃には既に
白人社会も安定して男女比も大して変わらなくなっていたはず。

それ以外の点については論点の違いだな。別に>>227氏が間違っているとは言ってない。
どちらも正しいのだろう。

233 :224=226:03/03/31 01:44
あ、それから、イギリス領は小農民が多いので、
スペイン領のように(大プランターが)先住民を村ごと支配して混血するのが困難なのでは。
白人と先住民とは平和的な通婚よりも土地争いで対立する方が先立ったのではないのか。

それと、スペイン領では(国王の政策で)先住民はカトリックの布教対象
とされ、その意味でも村ごと支配されていたのに対し、
イギリス領では例えばヴァージニアは営利目的の植民地であって布教には
大して興味がなかった。

また、イギリス領の南部で土地を得る手段は移民の際に本国から奉公人を
つれてくること(奉公人1人あたりいくらという土地割り当てがあった)で、
スペイン領のように先住民を奴隷化しなくても労働力と土地の確保が出来た。

奉公人も年期を勤め上げれば簡単に土地が入手出来たが、
その結果としてイギリス領では初期から土地を巡る先住民との衝突が起こっており、
従って「奴隷化による通婚」も「平和的な通婚」も一般化しなかったのでは。

あぶれた男は……どうしたんだろうね。ただ、奉公人には女性もかなりいたし、
多産だったので男女比が安定するのも早かったと思う。

推測ばっかりでスマン。もっと詳しい人降臨してくれ

234 :世界@名無史さん:03/03/31 07:48
227

>231
>人種混交に関しては宗教の違いが大きいのでは?

ご指摘のように、アングロと言い、ラテンと言っても、それぞれの体内に
人種混交の寛容度に関する遺伝子があるわけではなく、
考え方の違いはあくまで文化的・歴史的要因に基づくものに相違ありません。
そして、「プロテスタントの倫理が資本主義の精神を生んだ」という著名な
社会学的研究に見られますように、宗教・宗派の違いというものは、考え方に
大きな影響を与えるようです。
さらに言えば、ヨーロッパのある地域ではプロテスタントが優勢となり、
別の地域の人たちはカトリックを支持していることにつきましては、
風土の違いといったことも作用しているように思われます。

さて、人種混交の寛容度に関して宗教の違いが大きく作用しているとして、
それでは、具体的に、新教・旧教のどのような相違点が
人種混交の寛容度に関する違いを生んだのでしょうか?

235 :世界@名無史さん:03/03/31 07:49
227

232=226 さん。ベーコンの反乱に関するご教示、ありがとうございます。
7年の年季が明けた奉公人が、約束された土地が貰えず、頭にきて
植民地政府が平和協定を結んでいたバージニア西部のナンティコーク族
およびサスケハナ族を襲い、鎮圧にきた政府軍とも戦った事件のようですね。

このように、政府がインディアンと交わした約束を民間人が勝手に破る例は
地域を問わずとても多いようで、各地でインディアンが白人に対する不信感
を募らせたのももっともと思われます。

さて、19世紀の合衆国の歴史家、F.パークマンの
「スペイン文明はインディアンを圧殺した。イギリス文明はインディアンを
蔑み無視した。フランス文明はインディアンを抱擁し、慈しんだ」
という有名な言葉があります。同じ地域で英仏が競合した毛皮交易の
場合に見られますように、確かに国によってインディアンに接する際の
そのような相違があるようです。
その違いがどの程度「文明」、というか、「国民性」の違いに基づくもので、
また、どの程度、地域的・歴史的制約によるものであるかは、
興味深いテーマであるように思います。

236 :世界@名無史さん:03/03/31 08:35

ヨーロッパから来た開拓者たちはしばしばインディアンとの間に取り決めた
条約を破ったそうですね。インディアンの側から協定を破ったことはありましたか?

237 :世界@名無史さん:03/04/01 00:41
236さん
「約束を破ったのは非インディアン側からだけだった」という「インディアン常識」
の虚をついた、なかなか鋭いご質問ですね。

条約とは国と国との約束事で、法的拘束力を有するものを指します。
つまり、合衆国と条約を結んだインディアンの各部族は、
それぞれ独立した国と見なされていたわけです。
1778年にデラウェア族(Delaware Nation)と結んだ平和条約を皮切りに、
1871年にインディアンとの条約締結を止めるまで、
合衆国はさまざまな部族との間に370の条約を批准したそうです。

その中にはインディアンの側から約束を破った例もありました。
例えば、1851年、合衆国がスー、シャイアン、アラパホ、クロウ、アシニボイン、
アリカラなど大平原の諸部族と締結した「ララミー砦条約」では、
第一条に「今後は、条約当事者間ではいかなる敵対行為も行わない」
旨の取り決めがありましたが、これに合意した筈の部族の間で、条約締結後も
敵対行為を止めない例が多くありました。即ち、スーやシャイアンは、
クロウやアシニボインやアリカラに対する敵対行為を続けたのです。
大平原での通商・交通の安全上、当該地域先住民の平和な関係を
望んでいた合衆国政府としては、この反則行為にさぞがっかりしたことでしょう。

もう少し適切な例を出したいところですが、残念ながらすぐには思い付きません。

白人はインディアンの女を狙って殺したそうだから、絶滅目的なのは明白だろ。
なんで悪のイメージだとナチ>>>>>アメリカなんだろう。

239 :世界@名無史さん:03/04/02 20:31
>238
>なんで悪のイメージだとナチ>>>>>アメリカなんだろう。

「勝てば官軍」だから。「負ければ賊軍」とも言います。
インディアンのイメージだって、ほんの30年ばかり前までは
「極悪非道の野蛮人」扱いが一般的でした。

「白人がインディアンの女を狙って殺した」かどうかはともかく、
軍隊による肉体的抹殺攻撃は19世紀末に一応の終焉を迎えました。
しかし、インディアンに対する文化的絶滅攻撃の方は、1953年-62年の
「終結政策(termination policy)」に典型的に見られるように
第二次大戦後の時代にもつづきました。
そして、そのような文化的絶滅攻撃=同化圧力は、今日に至るまで、
様々な形でつづいていると言えるでしょう。

侵略者・合衆国政府によるあらゆる種類の絶滅攻撃にもかかわらず、
民族として存在しつづけてきた、インディアン諸部族の闘いを称えよう!
現実を直視すれば、197さんご指摘のように様々な問題を抱えているけれど、
彼らの明るいあしたを信じよう!

>>238
日本が皇民化政策をとった台湾は、支配が3世代を過ぎたために文化的に「慣れ」が生じた。
それに対して2世代で統治が終わった朝鮮は、今も日本に対して反感と非難を浴びせている。
これは親の世代が支配前を知っているか否かによって、反感のリアルさが変わるからだろう。
朝鮮と台湾の違いには、多分に戦後の両国政府の性質と民族性があるとは思うが。

いわんや200年以上に渡って支配されてきたインディアンをや。
もはや白人に支配される前の記憶を持っているインディアンなどいるはずもないのだから。
逆にユダヤ人は1世代目で絶滅政策を取られ、それでも大量に生き残り、
生々しい怒りの記憶を、彼らの国際的影響力をもって拡散しているが故にナチは歴史上最悪の犯罪とされる。
そしてそのイメージを固定化され、決して風化しないように常々心がけている。
以前、同じユダヤ人の芸術家がヒトラーを小さなネズミに喩えて風刺する現代美術を展示しようとしたところ、
その美術館のユダヤ人オーナーが「事実を矮小化している」と展示を断ったという事例がある。

241 :世界@名無史さん:03/04/05 20:38

240さん。揚げ足をとる積もりは毛頭ありませんが、ご高説によりますと、
韓国におきましても日帝による支配前を知る人たちが世を去りますと
「反感のリアルさが変わる」から、日本に対する反感と非難が薄くなっていく
ことになりますね。
でも、果たしてそうでしょうか?
200年前どころか400年以上前の秀吉による侵略を民族の歴史的記憶として刻み、
いまも厳しく批判している韓国の皆さんが、日帝の支配に対する恨みをそう易々と
風化させるとは思えないのですが、いかがでしょうか?

242 :世界@名無史さん:03/04/05 20:39
241(つづき)
アメリカ先住民の皆さんだって、自分たちが何をされたかという記憶を
決して風化させないよう、頑張っています。
インディアンと合衆国の軍隊が衝突した最後の事件である1890年の
「ウンデッドニーの虐殺」では、婦女子を含む146人のラコタ(スー)人が
騎兵隊に殺されました。
ラコタ人はこの虐殺事件を決して忘れていません。
1973年、AIM(アメリカン・インディアン運動)指導のもと、2000人の
インディアンがウンデッドニーの丘に結集し、彼らを包囲したFBIやアメリカ軍
と銃撃戦を交えた事件は、世界の耳目を集めました。そのとき彼らが抗議の場と
してウンデッドニーを選んだのも、そこが虐殺の記憶生々しい場所であったからに
他なりません。その後もラコタ人は「ウンデッドニーの虐殺」を風化させないよう、
様々なイベントを行ったりしています。
ラコタだけではありません。ナバホ、チェロキー、シャイアン、ネペルセ等等、
インディアン諸民族の多くにはそれぞれの「ウンデッドニー」があり、
その記憶を語り継いできました。

しかし、インディアンには240さんのいう「国際的影響力」がなく、彼らの歴史は
無視されてきました。そして、勝った側の言い分だけがまかり通っていたのです。
それが、ここ30年ばかりの間に急速に改善され、「合衆国も随分酷いことをして
きたんだね」との認識が一般化してきたのは、やはり彼らの粘り強い戦いの成果で
はないでしょうか。

243 :世界@名無史さん:03/04/05 21:35
違うとおもう
国民全体に経済的ゆとりと
心の余裕ができたから 平和主義者が増えた
運動を支えているのもアメリカ白人だとおもう

発展途上国は未だに、搾取される側とする者によって混沌としています。

   ,.´ / Vヽヽ
    ! i iノノリ)) 〉
    i l l.´ヮ`ノリ <先生!こんなのがありました!
    l く/_只ヽ    
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
>>241-242
韓国では朝鮮出兵は民族の悲劇というより、日本に抵抗し追い出した英雄的戦争とされている。
また朝鮮出兵を日韓併合前の半島の人々が特別に恨んでいたという話は聞かない。
ここ千年で九百回以上の侵略を受けてきたのに、最近は朝鮮出兵ばかりもてはやされるのは、
戦後に対日劣等感を払拭する目的のため学校教育で盛んに喧伝してきたからだと思われ。
韓国人の日本への反感でこの場合の比較参考になるのは被支配の記憶である日帝36年のみだと思うし、
厳密には植民地化とインディアン問題とは異なるので・・・違った話題にズレてしまってスマソ。

インディアンが悲劇を語り継ぐにしてもそれは米国国内の問題なので、
言論の自由があろうと自分達の立場を悪くし、交易など生活基盤を脅かしかねないような言動、
つまり表立ってアングロサクソンへの敵視や憎悪を語るような事がやりにくい。
また親の代が支配前を知っているという事は、固有の権利を「奪われた」感覚を、
経験として生々しく子に、奪った相手への憎悪を込めて語る事ができるという事を意味する。
支配者層による学校教育を3代に渡って受ければ、どうやっても反感は薄まってしまう。
それと搾取されるにしろ、生活が支配者側の経済に依存する事には変わりがない。
今のインディアンが民族の悲劇を語り継ぐにしてもそれは既に先祖の物語となってしまい、
奪った側の子孫への復讐心を喚起するどころかその愚かさを悟るに留まってしまうだろう。
それに映画も写真も無かった頃に話であるし、怒りの風化は免れないだろうし。

そういう意味で「反感のリアルさ」と書いたつもりでつ。
筆足らずだったようで申し訳ない。

246 :世界@名無史さん:03/04/06 08:54
241-242

243さん、レスありがとうございます。

>国民全体に経済的ゆとりと
>心の余裕ができたから 平和主義者が増えた
>運動を支えているのもアメリカ白人だとおもう
とのことですが、それでは、合衆国はここ30年ばかりの間にようやく
「経済的ゆとりと心の余裕」ができたのでしょうか?そうではありますまい。

「アメリカ白人」の中に、合衆国がインディアンに対して行ってきたことを
反省し、自己批判する書を著す人たちは、既に19世紀にも存在しました。
また、合衆国で1960年代以前に書かれたインディアン関連書籍にも、
合衆国政府や私人がインディアンに対して何をしてきたかが書かれています。

しかしながら、そのような書籍に接する人たちは限られておりました。
一般の「アメリカ白人」の間に自分たちがインディアンに対してとても酷い
ことをしてきたという認識が急速に広まったのは、60年代末頃からでした。

それでは、60年代末から70年代にかけて、一体何が起こったのでしょうか?
(つづく)

247 :世界@名無史さん:03/04/06 08:55

246(つづき)
現代世界において、歴史的な事柄に対する認識を広く一般大衆に広める上で
非常に重要な役割を担っているのが、映画であります。インディアン史に対する
認識も、例外ではありません。というか、その典型であります。
若い方はご存知ないかもしれませんが、かつての合衆国の歴史活劇、つまり西部劇
では、インディアンは、ほとんどの場合、悪役でした。「未開の地を開拓し文明を
広める白人と、それを邪魔する野蛮人、そして、その野蛮人をやっつける正義の
味方・騎兵隊」という図式であります。このような西部劇は、ヨーロッパや日本
でも人気を博し、「インディアン」を有名にすると同時に、彼らに対する偏見も広め
ました。
ところが、70年代になって、『小さな巨人』や『ソルジャーブルー』など、
「アメリカ白人」の悪行を告発する映画が現れ、アメリカがインディアンに対して
何をしてきたかが広く一般の人たちに知られるようになりました。
同時に、書籍の分野でも、1860-90年の西部でのインディアン戦争をテーマにした
"Bury My Heart at Wounded Knee"(邦訳『我が魂を聖地に埋めよ』がベスト
セラーになり、「悪いのはインディアンじゃなくて、白人の方だったんだね」と、
多くの人たちが気づくようになりました。
もちろん、これらは、243さんご指摘のように「アメリカ白人」自らが反省した
ものであります。また、そのような反省の裏には、ベトナム戦争という時代背景
もあったでしょう。しかしながら、インディアンに対する反省を促すにあたって
インディアン自身の戦いも無視しえないのであります。(つづく)

248 :世界@名無史さん:03/04/06 08:56
246(つづき)
「レッドパワー」という言葉をご存知でしょうか? 自らの復権を目指して政治的
戦いを繰り広げる、インディアンの戦闘的運動です。
その嚆矢は、1961年に結成された「全国インディアン青年会議」であるとされて
います。既存のインディアン指導層のダラ幹ぶりに業を煮やした若いインディアン
が、真の民族自決のために結成した組織です。
また、1968年には、インディアン諸民族の伝統を守るとともに、インディアンに
対する不法・違法・不当な取り扱いを改めさせることを目指す、AIM(アメリカン
インディアン運動)が、デニス・バンクス氏らによって結成されました。
1960年代末から70年代にかけて、各地でレッドパワーが炸裂。インディアンが
いまも存在し、不当な扱いを受けていることを、一般の人たちにアピールしました。

一方、著作の分野でも、スー族のバイン・デロリアが著した『カスターは汝らの
罪を負いて死せり("Custer Died for Your Sins")』が69年に出版され、白人の側か
らの一方的なインディアン史に対する見直しを迫りました。

このような、インディアンの側からの様々な「闘い」があったからこそ、
映画産業をも巻き込んだムーブメント足りえたのではないでしょうか?
242で>「合衆国も随分酷いことをしてきたんだね」との認識が一般化してきたのは、やはり彼らの粘り強い戦いの成果<と述べましたのは、このような認識に
基づくものであります。

249 :世界@名無史さん:03/04/06 08:58
241-242

245=240さん、レスとご教示ありがとうございます。
>朝鮮出兵を日韓併合前の半島の人々が特別に恨んでいたという話は聞かない。
>ここ千年で九百回以上の侵略を受けてきたのに、最近は朝鮮出兵ばかりもてはや
>されるのは、戦後に対日劣等感を払拭する目的のため学校教育で盛んに喧伝してき
>たからだと思われ。
とのこと。従来私の知らなかった/気づかなかった論点であります。

ただ、ご指摘の
>今のインディアンが民族の悲劇を語り継ぐにしてもそれは既に先祖の物語と
>なってしまい、奪った側の子孫への復讐心を喚起するどころかその愚かさを悟るに
>留まってしまうだろう。
>それに映画も写真も無かった頃に話であるし、怒りの風化は免れないだろうし。

という点に関しましては、今のインディアンが民族の悲劇を語り継いでいるのは、
必ずしも「先祖の物語」として郷愁に耽ったり、「奪った側の子孫への復讐心を喚起」
したり、「その愚かさを悟る」ためではないと思われます。
かつて自分たちの身に及ぼされた不当な扱いを伝え、いまもつづく不当な取り扱いに
抵抗すると同時に、再び同様のことが起こらないよう警戒を促すためでは
ないでしょうか?

韓国の人たちが日帝時代のことを持ち出して「今も日本に対して反感と非難を浴びせ
ている」(>240)のも、「復讐心」や「愚かさをなじる」ためではなく、かつて日本
がしたことへの反省を促し、同じことが起こらないよう警戒するためと思われるので
すが。

なお、「ウンデッドニーの虐殺」につきましては、インディアンの死体が転がる虐殺現場や、
共同埋葬所として掘られた穴に多くの死体が投げ込まれている写真が残っており、
ラコタ人、および広くインディアンの、「怒りの風化」を防止する一助となっております。

韓国の人達が日帝を持ち出すのは、
どんなに窮乏しても独立は失うまいという決意でもある。
たとえ豊かであっても独立が無ければ、
いざというときには非常なる困難に直面させられる。
優先順位では明らかに独立を委ねた国が上位だから。
そして日本発で日帝時代の事を持ち出すのは、
日本に居住する祖国を見捨てた人達が自己正当化を図る意味も大きく、
アメリカがそれに梃入れするのは他ならぬ自らの残虐さから、
目を背けるためでもある。

>>249
失礼、断定口調&2ch語の混交ではなんか真面目な話がしづらい気がするので、
突如として丁寧口調に変更する事をご承知ください。

インディアンの問題の本質は社会におけるマイノリティ問題に帰結するような気がします。
各種の運動にしても、自分らこそがこの地の正当なる支配権を持っている、という闘争史観ではなく、
マジョリティである白人に自分達の歴史を理解してもらい、米国内での権利を拡大させる、
という穏健な社会内改革の印象を受けるのですが、どうでしょうか。
少なくとも現代における運動はアメリカ社会を拒否、あるいは独立を志向しているようには思えません。
意図的にアメリカ白人にトラウマを植え付けるような攻撃的な宣伝活動も無いですし、
先に挙げた朝鮮出兵のような、リトルビッグホーン等の勝ち戦を強調して自信を与える歴史観も見られません。

これに対して韓国の場合は、ある程度意図的にナショナリスティックである面があります。
日本に独立戦争を挑んで国家・民族としての独立を勝ち取ったわけでもなく、
成立して間もない国が冷戦構造に組み込まれてしまったために急遽民衆をまとめる必要があり、
半ば意図的に、日本という精神上の仮想敵国を必要としたために反日になってしまった面があります。
そのせいか反日が最も激しいのは最も極端な教育を受けた戦後第一世代であり、
戦前世代や最近の若者はそれほどでもなく、国と経済が安定するにつれて次第に反日は薄まっていくでしょう。
この点において植民地と宗主国の関係であった日韓関係とインディアン問題は異なるように思われます。

(続き)

よく言われる話に、韓国の大統領は支持率が高いと親日になって経済援助を引き出し、
支持率が低くなると反日になって支持率を上げようとする、というのがあります。
最近では反日よりも反米が盛んですし、デモなどの運動が社会における不満の吐け口となる面が多いです。
反省を促し同じことが起こらないよう警戒するためではなく、自分たちの溜飲を下げるためでしょう。
極端な表現や大勢で騒ぐのを好む民族性ですし、労働運動などではもっと過激なデモもあります。
日韓が相互に軽蔑しあって来たのは1000年以上の歴史がありますし。

これに対してインディアン問題の特殊性は、全くお互いを知らなかった2つの文明が出会った、という点でしょう。
手探りの接触から種々の段階を経て徐々に征服や同化を繰り返してきた長くて類を見ないケースですし。
この失敗から学んだアメリカが戦後の日本統治においてそれを反映させたという説を読んだ事があります。
他ならぬアメリカ自身がこの、権利や所有の観念が異なる2者の接触を不幸な出来事と認識するに至ったのには、
インディアンによる運動の功績以上に、時代が流れすぎて開拓時代を美化する必要が無くなったからに思えます。
現代ではインディアンの権利を認める事で有色人種の支持を得られますし、
クリントン前大統領が黒人奴隷制度について謝罪した、というのと同様に思えます。
昔の事すぎて、アメリカという国の歴史上の汚点ではあっても、現在の自分たちの罪ではないという感覚を感じます。

インディアン問題を植民地支配と混同してしまい、話がズレた方向に進んでしまって本当に申し訳ないです。
余談ではありますが先日見たウィンドトーカーズという映画では、ナバホ族の通信兵が出てくるのですが、
ガダルカナルの日本兵が往年の西部劇における襲撃者インディアンのイメージで描かれていて興味深いです。
日本兵が崖の上から襲ってきてはバタバタと撃ち倒される様は、敵としてのインディアンを描けなくなった結果なのでしょう。

ウンデッドニーの虐殺の写真は今度調べてみようと思います。情報に感謝します。

253 :世界@名無史さん:03/04/11 01:42

アルカトラズ!

254 :世界@名無史さん:03/04/11 09:48

先住民族の定義とは
ナショナリズムを主張する基盤さえ奪われた民族と言うことですね 悲しい。
ペルーでは数から言えば先住民の比率はまだ結構あるはずだが、
ケチュア語を持ってスペイン語に替わる「国語」にしようとはしていませんね

256 :世界@名無史さん:03/04/12 21:53
239=(246-249)です。

240=(251-252)さん、レスありがとうございます。
趣味として北米インディアンの文化や歴史を調べております私にとりまして、
本掲示板によって多くの人たちの「インディア史観」を知ることは、
とてもよい勉強になります。

240=(251-252)さんの述べられました論点に関し、これまで私の調べた限りに
おけるインディアン史上の事実に基づいて、考えるところを申し述べ、議論を
進めていきたく存じます。
なお、私の記述する「歴史的事実」には、もちろん私自身の解釈というバイアスが
かかっていることを、予めご了承ください。

257 :世界@名無史さん:03/04/12 21:54
256(つづき)
インディアン諸部族は<植民地>である

…と断言すると、不正確の謗りを免れませんが、インディアン諸部族は合衆国内の
「保護国」に似た状況に置かれています。

インディアンの各部族は、居留地(reservation)という固有の領土と、そこに住む
人民、そして部族政府による統治権を備えております。つまり、「領土・人民・
主権」という、近代国家の3点セットを有しているのであります。
そのため、例えばセミノール人は第二次大戦に「アメリカ市民」として参戦を求め
られた際、「我々はいまだ合衆国と交戦中である」といって拒否しました。
また、イロコイ国やホピ国はそれぞれ独自のパスポートを発行しています。


けれども、インディアンの国々は、完全なる独立国ではありません。
領土である居留地は連邦政府の信託下におかれています。主権も、州政府からは
独立した権能を有しているものの、連邦国政府に対する排他的権能を有して
おりません。
そのような状態を脱し、独立主権国としての地位を回復することは、インディアン
諸国の悲願でありましょう。彼らの運動はまさに独立を志向しているのであります。
(もっとも、実際には、経済的自立が困難であるという現実から、「独立よりも
合衆国市民としての生活の安定を選ぶ」という人も少なくないかもね)

258 :世界@名無史さん:03/04/12 21:55
256(つづき)
インディアンは、単なるマイノリティーではなく、先住民族であります。

ご存知のように、合衆国は実に雑多な人種・民族で構成されております。
合衆国の基礎を作ったイギリス系の人たちを筆頭に、アイルランド系や
イタリア系、アフリカ系、ヒスパニック、さらには日系や韓国系、中国系等等。
その中にあってインディアンは、少数派中の少数派。数からいえばほとんど無きに
等しいようなマイノリティーであります。

しかしながら、インディアンには、米国の他のマイノリティーにはない特徴が
あります。他の米国人は、マジョリティーもマイノリティーも、他の土地から
勝手に移り住んだり、連れて来られた人たち、ないしその子孫であるのに対し、
インディアンはもともとアメリカに住んでいた人たちの子孫であることです。

従いまして、現代のインディアンの闘いには、アメリカ社会の一マイノリティー
集団として経済的に向上したり、社会生活を営む上での平等的な取り扱いを要求
したりする側面もありましょうが、それにとどまらず、先住民族としての固有の
権利の回復と保全を目指すという側面も強いのであります。
先住民としての固有の権利とは、狩猟・漁労・採集等の生業権、土地の所有・使用
権、言語を含めた固有の文化を維持・継承する権利などです。
また、十年ほど前からは、主に居留地内の賭博場に対する徴税権を巡って、居留地
が存在する州政府と、主権を主張する部族政府との間で争いが起こっています。

このような次第ですので、「インディアンの問題の本質は社会における
マイノリティ問題に帰結する」とは、必ずしも言えないような気がします。

259 :世界@名無史さん:03/04/12 21:56
256(つづき)
ヨーロッパ系アメリカ人の原罪意識について

西部地方での合衆国とインディアンの戦争は、1860代に始まり1890年の
「ウンデッドニーの虐殺」で終わりを迎えました。
その真っ只中、1881年に、ヘレン・ジャクソンという女性作家が著した
『恥ずべき一世紀』は、西部諸部族を含めたインディアンに対する合衆国の
不当な取り扱いを厳しく告発し、大きな波紋を投げかけました【詳しくは、
『アメリカ・インディアン』(研究社、アメリカ古典文庫14)を見てね】。
このように、アメリカ人のインディアンに対する原罪意識が芽生えたのは、
必ずしも「時代が流れすぎて開拓時代を美化する必要が無くなったから」
とは思えないものがあります。

アメリカの人道主義者は、このような反省から、インディアン政策を改めさせ
ようとしました。その結果行われたのが、彼らに対する「文明化」、即ち同化
政策であります。悪い白人がインディアンをいぢめるのを止めさせ、インディ
アンを「白人並み」にして、幸せにしてあげようというわけですね。
余計なお世話ぢゃ。同化とは、インディアンをインディアンでなくしようと
いう、民族絶滅の政策に他ならないのであります。
民族の幸せとは、その民族自身が決めるべきことで、他の民族にとやかく
指図される筋合いのものではありません。

だからこそ、真の民族自決を目指して、レッドパワーが勃興したのであります。

260 :世界@名無史さん:03/04/12 21:57
256(つづき)
レッドパワーについて

1960年代から70年代にかけて、インディアンの自決を目指して炸裂した
レッドパワー。何しろ少数派の先住民が主体となった運動ですから、その力を
過大に評価して「彼らがアメリカ人の意識を変えさせた」などと言うつもりは
全くありません。
60〜70年代と言えば、反体制の運動が燃え広がった、熱い政治の時代でした。
アメリカではベトナム戦争を契機とする反戦運動や、黒人の公民権運動が盛ん
となり、我が国においても、安保闘争や学園闘争が繰り広げられました。
AIMなどレッドパワーの運動が成果を上げたのも、このような時代背景の恩恵を
被っていることは否定できません。即ち、アメリカのマジョリティーの間に、
彼らの意見に耳を傾ける素地が出来ていたのであります。

けれども、素地は出来ていても、やはりインディアンの問題は彼ら自身が
動かなくては誰も気付かないし、もし気付いたとしても、他人任せでは
人道主義者による同化政策のようなことになったでしょう。

これは、我が国の先住民族であるアイヌのケースを考えればよくわかるのではと
思います。1997年、「アイヌ新法(アイヌ文化振興法)」がようやく制定されました。
これには、日本のマジョリティーが、部落開放運動などによって差別問題に対す
る意識を改めるとともに、アイヌ民族への理解を深めてきたといった事情もあり
ましょうが、やはり根幹は、ウタリ協会や萱野茂さんらを筆頭とするアイヌの人
たちの闘いがあったればこその成果だったといえるのではないでしょうか。

261 :世界@名無史さん:03/04/12 21:58
256(つづき)

インディアンの闘いとは

アメリカ人がいかにインディアンに対する過去を反省しても、インディアン
自身が滅びてしまっていたなら、それはあたかも滅び去ったリョコウバトを
惜しみ、絶滅させたことを悔やむが如きものでありましょう。

しかし、インディアンは、滅びませんでした。
ラコタとして、ディネとして、アニシナベとして、生存しつづけてきました。
部族によっては、伝統的な宗教儀礼を禁ずるという合衆国政府の宗教弾圧にも
屈せず、密かに伝統宗教を執り行い、政府が禁圧を止めるまで伝統宗教を護り
つづけてきたケースもありました。

このように、同化圧力に挫けず、民族として、あるいは「インディアン」
として、生存しつづけてきたことこそが、インディアンの最大の闘いではなか
ったかと思います。それは決して派手ではない、地味で静かな闘いでした。
そして、その闘いの拠り所となったのが、「居留地」という、彼ら自身の領土の
存在ではないかと思われてなりません。

つい長々と書いてしまいました。
実は、238さんの問題提起自体について述べたいこともあるのですが、それは
また改めて。

262 :世界@名無史さん:03/04/12 23:28

インディアンは北米最初の住人でないという説を唱えている人もいますよ。
その場合、後から来たインディアンが「先住民族」を滅ぼしたか追い払ったことになり、
後から来た白人がインディアンを迫害してもいいじゃないかということになりかねません。
北米最初の住人は、白人である可能性があります。

263 :世界@名無史さん:03/04/12 23:31
>>262
>インディアンは北米最初の住人でないという説

すごく気になる。ソースは?

264 :とてた:03/04/13 00:44
>>263
うろ覚えなんですが…。

たしか、「アラスカで発見された古代人骨が、コーカソイドの特徴を備えている」
という説です(精査すると、アイヌが一番近いらしいですが)。
当時のモンゴロイドとコーカソイドの差がそんなになかったからだと思うんですが。

まぁ、「古代の骨は全て先祖の骨だから、研究という名で辱めるな」
という考えで詳しい研究ができない事情のこともあるようですが。

265 :世界@名無史さん:03/04/13 12:44
256-261です

>263さん、
262さんと同じソースかどうかわかりませんが以前にNHKの海外ドキュメンタリー
番組で同じような内容を放送していました。録画したテープを紛失したので、
タイトルや正確な内容はわかりませんが、確か、「発見された骨を調べるとアイヌの
骨に近い。ところでアイヌは身体的特徴から考えてコーカソイドに近い」といった
内容だったと思います。

とてたさん(…….お久しぶり。実は私、アステカを滅ぼしちったあみ〜ご!です(^_^;)
のおっしゃる「古代の骨は全て先祖の骨だから、研究という名で辱めるな」との
インディアンの主張に対し、
「ホントに君たちの祖先なの?」と反論するかのような番組でした。

「アイヌは身体的特徴からコーカソイドに近い」なんて説は、DNA分析などによって
とっくに破産済みのはず。そんないいかげんな論拠に基づく、アヤシげな仮説を、
NHKで放送してよいものかと、驚き呆れながら見た記憶があります。

ところで、262さんのおっしゃる「後から来たインディアンが「先住民族」を滅ぼし
たか追い払った」という事実を指摘するためには、何千年(or何万年?)も前の骨を
根拠に、アヤシゲな仮説に頼る必要は全くありません。歴史的に、そのような事実は
確かにあるからです。

266 :世界@名無史さん:03/04/13 12:46
265(つづき)
インディアンも侵略者だった!

インディアン諸部族の歴史は、実は他部族に対する侵略の歴史でもありました。
これは104にも書いたことですが、もう一度少し詳しくお話しましょう。

● 現在合衆国南西部に住むアパッチやナバホは、もともとアラスカ内陸部に住んで
いましたが、11-14世紀頃南下して、南西部に侵入。先住のインディアンの村々に
対する略奪によって暮らすようになりました。

● 東部地方のイロコイ族【参.178,182】は、17世紀初頭、毛皮の中継交易
(他部族から毛皮を集めて白人交易商に売る)に従事し、競争相手のヒューロン族
と鋭く対立していました。両部族は小競り合いを繰り返していましたが、1649年冬、
千を超えるイロコイの戦士がヒューロンを襲撃し、ヒューロン国を滅ぼしてしまい
ました。さらに、ニュートラル族やエリー族にも壊滅的な打撃を与え、ヒューロン湖、
エリー湖、オンタリオ湖に跨る一帯を手中に収めました。
イロコイの他部族に対する侵略はその後もつづきました。

● 西部劇でおなじみのスーやシャイアンは、もともと森と湖に彩られた中西部、
現在のミネソタあたりに住んでいましたが、18世紀後半から19世紀にかけて
馬を入手し、大平原に進出。先住民族であるポーニーやアリカラを蹴散らして
大平原に居座りました。スーは毎年のようにポーニーを襲い、そのたびに女性や
子供を含む50−100人のポーニーを殺害しました。
さらにスーは、モンタナのクロー族の土地にも食指を伸ばしました。

ここでは3つの例を挙げましたが、これはあくまで例示であって、同様の事例は
まだまだあります。
さて、では、インディアン自身が侵略者であったことは、合衆国による侵略を
正当化できるのでしょうか?

267 :世界@名無史さん:03/04/13 12:47
265(つづき)
インディアンが侵略者だったら、合衆国もインディアンを侵略していいの?

これも、既に105に述べてあることですが、
「インディアンも侵略者だったんだから、合衆国に侵略されても文句を言えた
義理じゃない」
とは言えないと思います。
もしもそんなことが言えるなら、全ての侵略戦争は正当化されてしまい、
「合衆国もインディアンを侵略したんだから、他の国が合衆国を侵略しても文句を
言えないよね」
ということになりますが、そんなことを言われて
「うん、全くその通りだね」
なんて答えるアメリカ人がいたとしたら、顔を拝みたいものです。

では、インディアンの他部族に対する侵略と、合衆国のインディアンに対する
侵略はどこが違うのでしょうか?
合衆国がインディアンの土地を侵奪したやり方は、正々堂々の戦いの結果とは
必ずしも言えず、しばしば、卑劣な欺瞞的手段を使って土地を巻き上げたりした
点が違うのであります。
次に、具体的な例を挙げてお話しましょう。

268 :世界@名無史さん:03/04/13 12:48
265(つづき)
合衆国はいかにしてブラックヒルズを巻き上げたか

1868年、首長レッドクラウド率いるスー族は合衆国との戦争に勝利し、
ララミー砦で条約を結びました(1868年のララミー砦条約)。
条約では、スーの領土が居留地として保証され、居留地に住むインディアン成人
男子の3/4以上が賛成しない限り、居留地のいかなる土地の割譲もできない
決まりになっていました。

ところが、1874年、居留地内のブラックヒルズから金が発見されると、合衆国は
どうしてもそこが欲しくなりました。しかし、ブラックヒルズはスーの聖地です。
いくらお金を積まれても、易々と売れるもんじゃありません。
合衆国とスー族の交渉は難航しました。

1875年末、合衆国は、スーが起こした小規模な襲撃事件を口実に「全てのスーは
翌年1月末日までに居留地管理所に出頭せよ。出頭しないものは敵とみなして
討伐する」と命令しました。合衆国にはそんな命令を出す権限なんかないのに
(このあたり、最近中東で使った「期日までに亡命せよ、さもなくば戦争だ!」
というやり口に似ていますね)。
そして、命令に従わないインディアンを討伐しようとして、返り討ちにあったのが、
リトルビッグホーンの戦いであります。スー・シャイアン連合軍は、戦いには勝利
したものの、その後の掃討戦で各個撃破されました。

結局合衆国は、「ブラックヒルズを売らないなら、生活物資の支給を打ち切るぞ」
と言ってスーの指導者を脅し、ブラックヒルズ割譲に同意する協定を結ばせました。
こうやって、合衆国はブラックヒルズを巻き上げましたが、それは、「成人男子の
3/4以上の賛成」という条約の要件を満たさない、無効な協定に基づくものだ
ったのです。

269 :世界@名無史さん:03/04/13 12:49
265(つづき)
ブラックヒルズを取り返せ! スー族の戦い

上記は、合衆国がインディアン部族から土地を巻き上げた一つの例です。
土地の巻き上げ方には他にもいろんなやり方がありました。機会があればお話
しましょう。

さて、違法なやり方で聖地・ブラックヒルズを巻き上げられたスー族ですが、
彼らは泣き寝入りしたわけではありません。
法廷に訴えでたのであります。
その結果、1980年、合衆国政府の行為を不法と認定し、政府はスー族に対して
一億ドルあまりの賠償金を支払えという最高裁の判決を勝ち取りました。
しかし、スー族が欲しているのはお金ではなく、聖地の返還です。
スー族は賠償金の受け取りを拒否。ブラックヒルズそのものの返還を求めて
闘争をつづけています。
スー族もお金には困っているだろうに、見上げたものです。

270 :高橋:03/04/13 19:04
>>265で言及されている番組は、2000年7月にNHKの「海外ドキュメンタリー」で放送された、
NBC製作の「アメリカ先住民族のなぞ─発見された9000年前の人骨は白人?」というものです。

1996年、ワシントン州ケネウィックで9000年前の人骨が発見されました。
ところがこの人骨を調査すると、白人の特徴を持っていることが判明しました。
定説では1万2千年前にアラスカの氷河が溶け、通路ができてから
インディアンが初めてアメリカ大陸に(シベリアから)到達したことになっていますが、
もしこの発見が事実なら、アメリカ大陸先住民はモンゴロイドのインディアンではなく
コーカソイドということになります。
ところが「先住民の遺骨は先住民に返還すること」と定めた連邦法をタテに、
現地インディアンが大学当局に人骨の「返還」を求める訴訟を起こし、認められました。
これによりこの人骨に関する調査は中断され、真相は藪の中ということになったのです。

もしもアメリカ先住民が白人だったら、インディアンやイヌイットには
法が定めた「先住民」としての権利がなく、その権利はむしろ白人にあるということになります。
そればかりか「先住民」の白人を移民のインディアンが武力で滅ぼしたことになり、
中世以降の白人による侵略行為が正当化されることにもなりかねません。
そこで権利を確保したいインディアンが、研究を中断させるために訴訟を起こしたとも考えられます。

271 :高橋:03/04/13 19:10
番組では、アイヌ民族に似ているというその人骨は、
モンゴロイドの特徴を備えてなく、むしろコーカソイドに近いと断定していました。
しかし現在の学説では、モンゴロイドには、
彫りが深く体毛の濃い旧モンゴロイドと、
顔が扁平で体毛が薄くなった新モンゴロイドの2種類があり、
件の人骨は新モンゴロイドの特徴はないが、
アイヌ民族などの旧モンゴロイドには近いと思われます。

私はこの番組を見たとき、ピルトダウン原人捏造事件を思い出しました。
イギリスのピルトダウンで発見された原人の化石は、脳の容量が現代人と同じでしたが、
実は何者かが人間の頭蓋骨にオランウータンの下顎を取り付け、
薬品処理して年代をごまかしたのでした。
それはジャワで人類の祖先が発見された時代、人種差別主義者は人類がアジアやアフリカで発生し、
また白人も黒人も黄色人も共通の祖先から進化したとは認めたくなかったのです。
彼らは、白人は初めから知的で、しかも世界に冠たる大英帝国で発生し、
アジア人は別の野蛮で低能な祖先から発生してもらわなければならなかったのです。

>>271
「アダムとイブ」にこだわる頑迷固陋な白人は、
多系統発生説を否定し単一発生説を主張するんだ!
って書いてた本も見たことがあるな。
いずれにせよ白人を叩ければいいのね。

(^^)

274 :世界@名無史さん:03/04/19 17:22

age

275 : :03/04/19 19:28

聖書を信じるアメリカ人の本音。
「老若男女に至るまで強奪し、強姦し、焼き払って何が悪いの?」

276 :とてた:03/04/19 21:54
>>265
おお、なんと…。

「アメリカ人の問題」は、「自分達が定めたルールですら、守れなかった」ところですね。
とはいえ、現在の先住民政策はまだマシになったと思いますが(もちろん、問題はありますけど…)。

「アメリカ侵入前の北米先住民の移動」について扱っている書物かサイト(日本語で…)、あるでしょうか?
(……どこで使うかは、わかると思いますが)
>>271
ピルトダウン「人」は、イギリス人の他国への「焦り」でしょう。
ドイツ、フランス、オランダ(ただし植民地で)で「古代人」の存在を示すものが出てきたんですから。

277 :世界@名無史さん:03/04/19 22:02

ウェールズ人の子孫が先住民に居るという説は本当か?

278 :とてた:03/04/19 23:26
>>277
少し外れるかもしれませんが、「白人の子孫」の先住民はいたそうです。

たしかノースカロライナで、植民地が崩壊した時に、先住民に頼った人たちがいたようです。
で、その子孫は「金髪碧眼なインディアン」になったとか。

   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

280 :世界@名無史さん:03/04/20 08:44
とてたさん
265です(あの節は、どーも)。
私も、「現在の先住民政策はまだマシになった」と思います。(もちろん、先住民
自身の主体的な運動があったればこそだと思いますけど…)。
先住民の言語や文化を否定して、同化を迫るような政策は改められていますから。

アングロの価値観や「文明」は唯一最高のものではなく、どの民族の文化・文明も
それぞれ価値があり、尊重されるべきだということに、為政者が気付いたから
でしょうか。
でも、それにしては、最近の中近東などではあいかわらず価値観の押し付けをして
いるように思われます。やはりアメリカ人マジョリティーの傲慢な体質はなかなか
変わらないのかもしれませんね。

「アメリカ侵入前の北米先住民の移動」について詳しく扱っている日本語の書物や
サイトは不勉強にして知りません。
なお、アングロアメリカでもメソアメリカ文化圏に含めることのできる南東部・南西
部の古典文化に関しては、『インディアンの夢のあと』(徳井いつこ 平凡社新書)が分
かりやすいでしょう(多少の移動話もあり)。

281 :世界@名無史さん:03/04/20 08:45
>277 ウェールズ人の子孫が先住民に居るという説

『コロンブスへの挑戦―新大陸発見の謎―』(リチャード・ディーコン著、
読売新聞社、1970年発行)は、「ウェールズ系インディアン」を探求した著作で、
マンダン族(大平原の東部、ミズーリ川上流の河畔に村を作って定住し、農耕・
狩猟・交易に従事した部族)はウェールズ人の子孫であると説いています。

確かに、マンダン族の肌の色は比較的薄かったようです。

しかし、マンダン族の言葉は、スー語族に属します。(『コロンブスへの挑戦』には
マンダン語とウェールズ語の類似についても述べられていますが、その類似は偶発
的なものにすぎず、比較言語学に基づく分析とは思われません)

なお、マンダン族は1837年、天然痘によって、1万の人口が130に激減、生き残
った人たちは周辺のアリカラ族・ヒダッツァ族に吸収されてしまいました。
もしも彼らがウェールズ人の子孫だったら、天然痘への抗体を持っていたでしょう
から、そのような事態には陥らなかったと思われます。

282 :世界@名無史さん:03/04/20 08:51

↑おっと… 『コロンブスへの挑戦』の発行は1970年ではなく
1969年(昭和44年)でした。

283 :とてた:03/04/20 11:11
>>280
まあ、「歴史の浅い国」故なのかもしれません(良きにつけ悪しきにつけ)。

その本、探してみます(図書館にあればいいけれど…)。

284 :世界@名無史さん:03/04/21 05:08
とてたさん
『インディアンの夢のあと』は、2000年発行なので、まだ絶版には
なっていないはずです。図書館になければ、本屋さんで探されては?
価格は680円(税別)です。

【お知らせ】「アメリカ・インディアンの手仕事」という展覧会が
宇都宮美術館( 028-643-0100)で開かれています(5/18まで)。
オクラホマとニューメキシコのインディアンの美術が紹介されて
いるようです。
(ちなみに、この展覧会の講演会では『インディアンの夢のあと』の著者・
徳井いつこさんが講師をされたようです。講演会はもう終わったけど)

285 : :03/04/21 06:37

痒い所に手が届く。
略奪に成功した人殺しを癒してあげるのは得意なんだね。
絶対に噛まれる恐れが無い溺れてる犬には平気で石を投げるのに。

286 :世界@名無史さん:03/04/21 09:28
>>216
ラテンアメリカでも、チリやアルゼンチンは混血が少ない国ですから、
すべてを国民性の違いにするのは無理があるかと。
287 :ブーツカット:03/04/21 12:36

資料的価値があるかどうかは別として、
作家の船戸与一氏が本名の豊浦志朗名義で書いた「叛アメリカ史」は
先住民問題に興味があるならば是非読んで欲しいです。
トーマス・R・バージャーの「コロンブスが来てから」もお勧め。

289 :世界@名無史さん:03/04/26 06:07
宗教も国家も歴史的起源が忘れ去られているから神聖視できるんだ。
USAも欧州のあぶれものや屑が一旗挙げて作ったが、
成り上がってから自分達の始祖がゴロツキでなく敬虔なピューリタンだったという神話を作った。
USAとイスラエルは、いわば
「荒野で人肉の味を覚えてモンスター化した野犬」
なのだ。
だから、建国以来一貫して、常に外国で一般人を虐殺してきたのだ。
白の中でも最も退化してきた奴ら
290 :世界@名無史さん:03/04/26 06:15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030425-00000393-reu-ent
マドンナ、米国人の価値観を痛烈批判
[ロンドン 24日 ロイター] 音楽業界の長者番付上位に名を連ねる米ポップ界のスーパースター、マドンナが、米国人の価値観を痛烈に批判した。
 テレビ情報誌ラジオ・タイムズのインタビューで明らかにした。
 
291 :世界@名無史さん:03/04/26 06:16

マドンナは、米国人は他国の人々にはない機会に恵まれているのに、表面的な夢にばかりとらわれていると指摘。

292 :世界@名無史さん:03/04/26 06:17

 「われわれ米国人は、容姿や銀行の預金残高、他人に裕福で有名で
成功している印象を与えることなど、さまざまな間違った価値観に
完全に執着し、没頭している」とコメント。
 「幸せをもたらしてくれるのは、愛や他者への接し方、お互いへの
思いやりだけ」との持論を披露した。
 一方、今週リリースされた約3年ぶりの新作アルバム
「アメリカン・ライフ」が酷評を受けていることについては
「批評家には20年以上叩かれているので、今に始まったことではない。
自分が知る限り、まだたくさんのファンがついてくれているし、
レコードセールスも上々」として、批評は読まないから何を言われても
平気だと語った。 (ロイター)
[4月25日12時36分更新]

アメリカの文化大革命か。

294 :世界@名無史さん:03/04/28 21:36

でもマドンナ、気が付いただけでも立派だ。

あまり調子に乗って原因不明の急死とかしないで欲しいものだ

296 :世界@名無史さん:03/05/01 15:04

マリリン・モンローもケネディと同様に
軍産複合体に逆らったからあぼーんされたのでしょか?

297 :世界@名無史さん:03/05/01 15:27

Stranger!Tell the Lacedemonians that we lie here in obedience to their laws.

まあマドンナの客はDQNがメインだからね。
DQNの耳に心地よいことしか言わんだろ。

299 :世界@名無史さん:03/05/13 12:21

age

300 :世界@名無史さん:03/05/13 23:15
>>216
26 :世界@名無史さん :02/07/02 13:04
>>25
18世紀にアルゼンチンの中心部のパンパに入植したスペイン人たちは
先住民であるオーナ族やヤーガン族を大量虐殺し、この地を奪い取り開拓し、
羊の放牧を中心としたエスタンシアと呼ばれる大土地所有制度をうみだした。
その後も虐殺が続くが、有名なのは1870年頃の「国家近代化作戦」。
北部パラグアイ国境付近とや南部パタゴニアに追い詰められたインディアス
の皆殺し作戦であり、指揮官は後にその功績で大統領に就任するロッカ将軍。
その後も虐殺は続き、パタゴニアのセルクナム族、チョクニ族、ヤマナ族、
アラカルフ族などのインディアスはほぼ全滅した。
アルゼンチンで先住民もほとんど見かけないのはこの徹底した民族浄化による。

27 :世界@名無史さん :02/07/02 14:56
要するに北米大陸における
カナダに当たるのがアルゼンチン、チリ(ほぼ白人)
アメリカに当たるのがブラジル(黒人が10%程度)
メキシコに当たるのがペルー(インディオ系人口多)

━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔‾∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

305 :世界@名無史さん:03/06/13 23:11

age

306 :世界@名無史さん:03/06/25 13:32
307 :世界@名無史さん:03/06/26 00:59

ラッセル・ミーンズとデニス・バンクスはお忘れないよう・・・

308 :世界@名無史さん:03/06/29 08:50

このスレ見てたらドラゴンクエスト3がやりたくなった

309 :世界@名無史さん:03/06/29 23:08
>>303

読めないよ。もったいない

310 :世界@名無史さん:03/07/03 06:20

オメコバンバンやって子供がんがん作ってれば滅びないと思うが

>310
人口増より人口減のほうがはるかに大きかった。


 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒‾|         山崎渉
   ‾ ̄ ̄ ̄ ̄



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脚本のスティーブン・ギャガンはこのストーリーのリサーチのために、現場の人間に次々 インタビューしながら、異なる情報源から300件以上の記事を集めたとか。セリフの ... 売る者、儲ける者、取締まる者、買う者、使う者。 ... さあ、麻薬取締官、仕事をとるのか 家族をとるのか? ... 汚職だらけの州警察に勤め、メキシコ=アメリカの国境警備に従事 するハビエール・ロ ドリゲス(ベニチオ・デル・トロ)。 .... The pepole at the bank, you should see their faces when I walk in there. .... 我が子を救えない麻薬取締官とは何 か? read more

Chapter 8 死者を恐れるべきですか Should You Fear the Dead?

2012年1月21日 ... それよりさらに 広く見られるのは,死者から保護するため,生 きている者に助けが必要 である,という信仰で す。 ... メキシコ,中央チアパス地方の山岳地帯に住む ... インデアンの間では,埋葬の日に赤トウガラシ を燃やす習慣があります。 ... かかったり, 子供が死んだり,事業がうまくゆ かなかったり,他の何かの不幸が起きたりする と,人 はすぐまじない師に相談します。まじな ... The Bible says of the dead: "Their love ... それは,その人々にとって,生活上の必要物の ために使うことのできたお金です。 read more

カリフォルニア州の歴史 - Wikipedia

カリフォルニア州の歴史(カリフォルニアしゅうのれきし、英:History of California)では、 アメリカ合衆国西海岸に位置する ... する。カリフォルニアにおける人類の活動はおよそ 13000年から15000年前に到着したインディアン民族に始まる。 ..... 次に1833年8月17 日、メキシコ議会は「カリフォルニアにおける伝道所の分離のための法律」を成立させた 。 ..... ロサンジェルスのサンセット通りでのヒッピー暴動はバッファロー・スプリング フィールドの『For What Its Worth』(何のための価値なのか、1966年)で不朽のものに もなった。 read more

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