2012年5月31日木曜日

ヘレン・ケラーとバレンタインデー|弁護士作花知志のブログ


アインシュタインは言いました。「重力は,人が恋に落ちるのとは関係がない」

仮に,人が恋に落ちるのと重力とが関係がないのだとすれば,私達はなぜ恋に落ちるのでしょうか。

あの三重苦を乗り越えた「奇跡の人」として知られるヘレン・ケラーは,周囲の反対を押し切り,駆け落ちをしたことがあることをご存じでしょうか。

それはヘレンが36歳の夏のことでした。サリバン先生が体調不良となり,代わりに29歳の秘書ピーター・フェイガンがヘレンの身の回りの世話をすることになったのです。

2012年5月19日土曜日

2006年06月


今回、入荷した作品の試合内容をご紹介します。

UWF-TNA
ENIGAMTIC ARRIVAL PART1(06/3/3) 2,700円
1.マット・ハイソン(元スパイク・ダッドリー)&ソンジェイ・ダット vs ダイアモンズ・イン・ザ・ラフ(スキッパー&ヤング)
2.ピティ・ウィリアムズ vs マット・ベントレー
3.ロン・キリングス&キシ(リキシ) vs シャノン・ムーア&ビル・ベイン
4.ロドニー・マック&ジャズ vs マーク・ジンドラック&ジャッキー・ゲイダ
5.AMW vs ナチュラルズ(NWA世界タッグ選手権)
6.ジェフ・ジャレット&モンティ・ブラウン vs ジェイムス・ギャング(B.G.ジェイムス&キップ・ジェイムス)

ENIGAMTIC ARRIVAL PART2(06/3/4) 2,700円
1.ジェフ・ジャレット、ロドニー・マック&ジャズ vs マット・ハイソン、マーク・ジンドラック&ジャッキー・ゲイダ
2.ピティ・ウィリアムズ vs ソンジェイ・ダット
3.ロン・キリングス&キシ(リキシ) vs モンティ・ブラウン&ビル・ベイン
4.AMW(クリス・ハリス&ジェイムズ・ストーム) vs ジェイムス・ギャング(B.G.ジェイムス&キップ・ジェイムス)
5.チェイス・スティーブンス vs デビッド・ヤングwithエリックス・スキッパー
6.ジェフ・ハーディー vs シャノン・ムーア(NO DQ戦)

QUALIFIED FOR ACTION(06/3/31) 2,700円
1.ピティ・ウジリアムズ&エリック・ヤング vs ジェリーリン・&ソンジェイ・ダット
2トレイシー・ブルックス vs アンバー・オニール
3.AMW vs ナチュラルズ
4.ライノ vs アビス
5.ジェフ・ハーディー&キップ・ジェイムス vs ジェフ・ジャレット&メイヴェン
6.チーム3D vs ダイアモンズ・イン・ザ・ラフ

2012年5月17日木曜日

TSI.Canada - 海外ファンド(オフショア)、海外ETF、ヘッジファンド、海外口座、海外不動産投資を考えている方のコミュニティです。 名古屋海外投資研究会 (対象:名古屋、愛知、三重、岐阜)




tahquiameon滝

ナイアガラの滝、ニューヨークのフィットネスジム

ジャクソンビルビーチフロリダ州の観光名所

カナダ投資--主要情報        資料請求

投資戦略ランドバンキング-不動産投資
投資地域カナダ、オンタリオ州及び大トロント圏
投資目標利回り年率15%~20%
推奨保有期間中期(4~7年)
リスク分析低~中 格付けAaa(ムーディーズ)
最小投資可能額一万カナダドル~
初期費用なし。年間管理費用もありません
投資メリット安全性、多様性、高収益、為替
投資デメリット流動性、為替
投資マネージャーTSIインターナショナル・グループ

グリーンバレー・エステートⅡ(GEⅡ)


物件概要

2012年5月15日火曜日

海外の妖しい Blog 記事から 1958年10月26日、メリーランド州バルチモア: Loch Raven ダムでの UFO 目撃


要旨:
・日時:1958年10月26日の夜

・場所:メリーランド州バルチモア Loch Raven ダム

・Phillip Small と Alvin Cohen の二人が車で Lock Raven ダムの近くの橋のあたりにきた時、橋の上空に UFO を発見した。UFO は 100~150フィート上空にいた。

・彼らはゆっくり近づき、橋まで 75フィートの地点で車の電気系統が動作しなくなった。ちょうど、キーを抜いた時のように。車を再始動しようとしたが、ダメだった。 UFO は 30~45秒間観察できた。

・彼らは車から出て、車の後ろに隠れて UFO を観察した。45秒ほどしてフラッシュライトが光、同時に雷のような音がした。二人は顔面に熱を感じた。

2012年5月14日月曜日

Norman Reedus In Boondock Square: ノーマン・リーダス



英語ネタではありませんが、冒頭の教会シーンで大司教が語っているキティ・ジェノヴェーゼ事件についてです。この映画のテーマにもかかわる重要なエピソードですが、割と聞き流してしまいがちなので、少し説明したいと思います。

社会心理学入門の本などには、『冷たい隣人』というタイトルで紹介されたりする実際に起きた事件です。

事件のあらまし:

2012年5月13日日曜日

インディアン対合衆国の戦いのスレ


インディアン対合衆国の戦いのスレ

1 :世界@名無史さん:02/10/11 18:58

リトル・ビッグ・ホーンの戦いや
ジェロニモの猛烈な抵抗などを語ろう。

2
2
2
2
2
2
2
2
2
2

3 :世界@名無史さん:02/10/11 19:01

アラモ砦の戦いってインディアンがらみだっけ。
漫画の不動明王のやつにもインディアンが出てくる回があって
あれ、楽しかったなあ

4 :サンタアナ:02/10/11 19:11

アラモは対メキシコ軍ですが・・・

5 :世界@名無史さん:02/10/11 20:04

インディアンは何処から
銃を調達していたのですか。

6 :世界@名無史さん:02/10/11 20:12
>>5
ユダヤ商人から
7 :世界@名無史さん:02/10/11 20:19
>>1さんに質問です
そもそも北米大陸にどのくらい拠点があったのか。
原住民の人口はどの程度だったのか、相互の連携はどうなっていたのか。
組織的な抵抗はいつ頃から始まって、いつ頃完全に屈服したのでしょうか。
8 :世界@名無史さん:02/10/11 20:20
>>5 フランス人からじゃないの?
9 :世界@名無史さん:02/10/11 20:21

今は、「インディアン」という呼称、放送禁止になっているからねえ。

10 :世界@名無史さん:02/10/11 20:21

インディアンは銃を調達しても、それを作ろうとは考えなかった。
まして、銃を作れるように社会制度を改革しようなどはまったく
思わなかった。

11 :世界@名無史さん:02/10/11 20:24

アメリカ史ではショーニー族、クリーク族、セミノール族の抵抗が激しかったとか
かなり断片的な知識しか学ばなかった。ラスト・オブ・モヒカンとか
アパッチとか、ダンス・ウィズ・ウルブスとか今思い返してみると面白そうな
研究分野ではあるんだよね。

12 :世界@名無史さん:02/10/11 20:25

やつらもヘタレだよな。
IRAみたいにテロのひとつもやったらどうなんだ。

13 :世界@名無史さん:02/10/11 20:28
>>9
そーそー前不思議に思ったんだけどさ、(知識人の間じゃネーティブ・
アメリカンと呼ぶのが常識らしいけど)CBSドキュメントみてたら
ピーター・バラカンと司会の女性がなぜか、インディアンという言葉を
使ってたのよ。ピーター・バラカンなんかいかにもネーティブ・アメリカン
のほうを使えよって言いそうなタイプなのにね。何か事情があったのかも
しれん。
14 :世界@名無史さん:02/10/11 20:29
>>12
それは60年代で終わってる。テロじゃないけど
そう言う運動はありましたよ。
15 :世界@名無史さん:02/10/11 20:32
>>13
それは薔薇感がイギリス系の東南アジア混血で
PC(政治的に正しいってやつ)の影響をあまり
受けていないってことでしょう。

其れよりNHKの衛星映画劇場の西部劇の字幕で
「インデアン」ってはっきり発音してるのに
「先住民」って字幕が出る偽善性のほうが嫌
なんだすが。

16 :世界@名無史さん:02/10/11 20:34
>>15
普段、英語で生活してる人だろうし無学じゃないだろうから
なにか事情があったっぽいんだよね。一緒にいる女性の司会まで
インディアンっていってたから、ただ理由はわからんのよ。
17 :世界@名無史さん:02/10/11 20:35

ラテンアメリカでも、インディオというのは使わなくなったの?

18 :世界@名無史さん:02/10/11 20:37

アングロサクソンによって最初に血祭りにあげられた
北米先住民族は?

19 :世界@名無史さん:02/10/11 20:38

PCが突出してるのはUSでしょうやっぱり。

20 :世界@名無史さん:02/10/11 20:43

マヤやアステカのような「文明」
というのは北米には存在しなかったのかねえ。
南米と比べると侵略の経緯があまり
知られてなさそうですなあ。

21 :世界@名無史さん:02/10/11 20:44
>>18
それ以前にバイキングと先住民の
戦いがあったかもしれません。
確認のしようがないですが。
22 :世界@名無史さん:02/10/11 20:50

イヌイットは?

23 :世界@名無史さん:02/10/11 21:15
かれらインディアンは基本的に豊かな大陸に包まれた怠惰な連中で、
ダコタのパインリッジという居留地をクリントン大統領が訪れたとき、
失業率73パーセントと聞いて驚愕したそうだ。
(当時アメリカ合衆国の平均失業率は5パーセント以下)
そのくせ保護政策で一時金が至急されると、
男はキャデラックを買ってしまい、その後
ガソリンスタンドで1リットルだけガソリンをくれ、と言う光景を
良く目にする、とのこと。
そうでなければ昼間ッからウイスキーを飲んだくれる。

インディアンの生活が
ヒーリングに適用されるわけですな。

24 :世界@名無史さん:02/10/11 21:19

インディアンて農耕を行ってたの?
それとも狩猟採取生活でっか?
文字は存在した?

>>23
近代の生活様式が、相当不自然で、我々はなれているが
なれていない人には辛いと言う事ですね.

怠惰というより、独自の生活リズムが過去にはあったと言う事でしょう.

26 :世界@名無史さん:02/10/11 21:24

イ〜ンディアン、嘘つかない♪
ってほんとですか?

27 :世界@名無史さん:02/10/11 21:26

ウェブ・ガリソンという人の本にWWUのとき連合軍がインディアンの部族
に伝わる雄たけびを暗号技術に利用したという怪しげな記述があった。
ありゃホントなのかね。

28 :世界@名無史さん:02/10/11 21:27
>>26
インディアンに対して
嘘をつきまくった人達への
皮肉なんでしょう。
29 :世界@名無史さん:02/10/11 21:28
>>28
頭の皮を剥がして集めるというのは本当は白人が始めたらしいよね。
30 :世界@名無史さん:02/10/11 21:33

そろそろ卒論で北米先住民について
書いた人とか出てきてくれると嬉しいのですが。

31 :世界@名無史さん:02/10/11 21:40
>25
植民団のプロテスタントは勤勉ですからね。
でもプロテスタントに接触して建国からでも200年経ってるのに
差し引き68パーセントが影響を受けていないのはなんでしょうね。
彼らプロテスタントははスペイン・ポルトガルのカトリック信者のような
強烈な信仰心で民族を根こそぎ改宗させるような熱心さは
持ってなかったといいますんで、その辺他人みたいな付き合い方だったんでしょうか。
32 :世界@名無史さん:02/10/11 21:42

もっとも強かった部族を教えてください。

>>32
アラウカーノ

34 :世界@名無史さん:02/10/11 21:45

コマンチって西部劇で良く出ますね。
強いって何でしょうね?格闘戦ですか、組織的に
白人に対抗する強さでしょうか。
だいたいは部族の好戦性と、平原インディアンの
体のでかさに尾ひれがついたもんだと思います。

>7
北米では、ミシシッピ川流域に結構大きな首長社会があったことが確認されてます。

人口に関しては、白人来航時には100万人程度とほとんど無人大陸だった、
と米国では教えているようですが、
実際にはコロンブス到達から北米植民までの間に旧大陸の疫病で人口が激減しているとのこと。

36 :世界@名無史さん:02/10/11 21:57
>>35
北米の先住民族文明を研究してる人って
日本にいますかね?
37 :世界@名無史さん:02/10/11 22:40
1756年、英仏は北米大陸の覇権を争うためインディアンの懐柔に狂奔する。
しかし、英仏で講和が成立すると英はインディアン絶滅策を実行する。
ペスト菌、チフス菌、天然痘菌を主体とする細菌戦術は東部の森林インディアンを絶滅させる。
今日のアメリカ合衆国史はこれを「フレンチ・アンド・インディアン戦争」と呼称する。

・・・・・・・・

38 :世界@名無史さん:02/10/11 22:44

フレンチ・インディアン戦争にイギリスが負けていれば世界史は違っただろうな。
インディアンの悲劇はなかったし、"米国"もあそこまで超大国にはならなかったはず。
フランス人はカスだから。
そしたら、"米国"の極東介入もなかったし、日本が敗戦国になることもなかった。
もしかしたらヒトラーはソ連に勝ったかもしれない。米国の援助がなければソ連も中国も
戦えなかった。

39 :世界@名無史さん:02/10/11 22:58
>>38
そもそもアメリカが超大国じゃなかったら、第一次世界大戦の状況が
まず変わっていると思うが。
40 :世界@名無史さん:02/10/11 22:59
>>38
征服されるのが多少遅くなったか、
支配者がフランスになるかだけの話では?
アングロサクソンを北アメリカから
駆逐するというシナリオは考えにくいでしょ。
41 :世界@名無史さん:02/10/11 23:59
>>38映画パトリオット中で敵が赤服から青服になってるだけじゃない?
42 :世界@名無史さん:02/10/12 00:07
>>34
コマンチ族は頭脳的な作戦を立てることで有名な部族です。
43 :世界@名無史さん:02/10/12 00:12

コマンチ、アパッチ・・・・・・・・・・・・・・・戦闘ヘリ??

>>43
逆。
先住民の名前をつける慣習なの。チヌークとか。
日本で言えば艦種ごとに国名をつけたり川や山の名前を割り振ったりしたようなもん。
45 :世界@名無史さん:02/10/12 00:22

みんなインディアンの事については
あんまり知らないだろ?
この辺は世界史板の穴だ

そういえば戊辰戦争に捲けた会津だかどっかの藩士二人組がアメリカに渡って
そこでインディアンの仲間になってカスター将軍と戦ったりする漫画があったね。
あれなんて名前だったっけ?結構面白かったけど。

47 :世界@名無史さん:02/10/12 00:43
48 :世界@名無史さん:02/10/12 00:45
>>1 ・・・・なんか、むっちゃ悲しいんですけど。
49 :世界@名無史さん:02/10/12 00:48
50 :世界@名無史さん:02/10/12 00:49
「フィリップ王」やら「オクラホマ」やら「ゴーストダンス」やら…。

ええ話の無いこと無いこと。

51 :世界@名無史さん:02/10/12 00:52

結局、インディアンも元を辿れば侵略者だったんじゃないの?

52 :世界@名無史さん:02/10/12 01:03
>>51
インディアンが南北アメリカ大陸に渡った頃は、文字通りの無人の大地。
53 :世界@名無史さん:02/10/12 01:07

大型獣は狩りすぎで絶滅しちゃったけどねー。
始点を延長するタイプの投槍器がむちゃくちゃ強力で、
子供でもそこそこ威力が出るとなんかの本で読んだな。

54 :世界@名無史さん:02/10/12 01:08
>>50
ゴーストダンス。かなしいはなしだにゃー
55 :世界@名無史さん:02/10/12 01:10

メガテリウムやグリプトドンが絶滅したのは、やつらのせいだからな。

飢え死にしかけていたピルグリム・ファーザーズたちにあるネイティブ・アメリカンがトウモロコシと七面鳥をプレゼントした。
それを記念したのがサンクスギビング・デイだよね。

祝日にするほど感謝したくせにインディアンに対してあの仕打ちか。
なんて奴等だ。

58 :世界@名無史さん:02/10/12 02:34
珍しいネタだ。
>>1よ是非がんばって
伸ばしてくれ。

>>57
異教徒は人間として
映らなかったのでは?

59 :1以外を読まずにカキコ:02/10/12 02:39
カスター将軍じゃなくてカスター中佐はDQN!

さて寝るか

>27

ナバホ・コードトーカーに関する記述を"怪しげ"とは。
ウインドトーカーズ見に行け。

61 :世界@名無史さん:02/10/12 04:28

マンハッタン =岡の島
オクラホマ=真っ赤な嘘
スー =敵
だったかな?
インディアンの言葉に由来する地名はアリゾナとか
色々あるみたいですが、
誰か詳しい人は知ってる限り教えてくださいませ。

62 :世界@名無史さん:02/10/12 15:21
63 :世界@名無史さん:02/10/12 15:26

サンドクリークの虐殺事件はアメリカが引き起こしたホロコースト、
ジェノサイドだったんだね。

64 :世界@名無史さん:02/10/12 17:22
>>57
それが日本人とアイヌ人だったら、別の未来が待ってたんだろうね。
65 :世界@名無史さん:02/10/12 18:09
>>61
では州名を。 
アイオワ=ウアウイアトノン族
アイダホ=コマンチ族・ただし、コマンチ族とは関係無い。
アーカンソー=同族名
アラバマ=アリバム族
アリゾナ=パアゴ語の「アリ・ショナク(小さな泉の湧く所)」
イリノイ=同族名
オクラホマ=チョクート語の(赤銅色の人)
カンザス=カンサ族
ケンタッキー=「ケンタケ(牧草地)」
コネチカット=(長い川)
テキサス=テヤス族
ネブラスカ=シオウアン語の「ニ・ブトハスカ(広く平らな水)」
ノースダコタ/サウスダコタ=ダコタ族
マサチューセッツ=(大きな丘の麓)
ミネソタ=シアウン語の「メネソタ(水煙る)」
ユタ=ユテ族
ワイオミング=アルゴンキン語の「メシエ・ウェアミ・イング(大きな平地)」ただし、元々は東部の地名。

世界地名ルーツ辞典より 

66 :世界@名無史さん:02/10/12 19:59
>>65に追加
ウィスコンシン=アルゴンキン語の「メス・コン・シング(大きく長い川)」
オハイオ=イロコイ語の(美しい川)
テネシー=「テナス」インディアン起源だが、語源不明。
ミシシッピ=「メスシピ(大河)」
ミズーリ=同族名

次に都市名。
オマハ=同族名
シアトル=シーヤト(酋長の名)
シカゴ=「シガゴウ(玉葱のある所)」
マイアミ=マスコギン語の(巨大な)
ミネアポリス=「ミンネハハ(滝)」とギリシア語のポリス(町)との合成。
ミルウォーキー=アルゴンキン語の(美しい土地)

世界地名ルーツ辞典より 

67 :世界@名無史さん:02/10/12 20:58

スタンド・ウェティ将軍マンセー

68 :世界@名無史さん:02/10/12 21:21

どうせならクリーブランド・インディアンスの全選手をインディアンにすればいいのに・・・

69 :世界@名無史さん:02/10/12 21:32
>>68
それをいえば、インディアナ州には白人は住んではいけないでしょう。

…まあ、オクラホマですら先住民のものにはならなかったんですが。

70 :61:02/10/12 21:46
>>66

おおー、こんなにもあるんですね。
けっこう凄いですね。

地名以外にもアメリカ原産の作物とか
ありそうですね。ポテトとか、トマトとか、インディアンとは
違うかもしれないけど怪しい命名ですね。

植民2世以降の開拓地が多いような気がしますね。
地名の由来は植民団、開拓者の土地にかける思いの差かもしれませんね。
沿岸沿いの、植民団が切り取りに来た土地(ニューヨーク)とか
伝説の黄金の国の名がついたカリフォルニア、
キリスト教を伝えに来た宣教師が「ロサンゼルス(天使の女王)」
とか付けた具合に。

71 :世界@名無史さん:02/10/12 23:23

インディアンで一番強かった部族ってどこ?

72 :世界@名無史さん :02/10/12 23:25

河畔に日本から贈られた桜が植えられていることで有名な
ポトマック川はインディアン由来っぽいかんじがするね。

73 :65:02/10/13 00:21
>>70
植民地での命名は、「故郷への想い(ボストン)」「新天地への想い(ニュー○○)」「現地名・使用名の訛り(シカゴ)」、「現地人への想い(アイダホ)」
「なにかの記念(ピッツバーグ)」などに分類されるそうです。
それから、カリファルニアの語源はスペインの詩人・オルドニエスの詩の【美女と黄金の島】のことで、元ネタはないそうです。
前述の本からですが、アメリカの命名基準はかなりいい加減ですよ。

>>72
パウタメク族が語源だとか。

74 :世界@名無史さん :02/10/13 00:37
>>23
土地を奪われる事に納得しないような世界の平均的市民のネイティブは、
クリスチャンの入植直後から19世紀に至るまでに、
文字通り「皆殺し」にされました。
本当の植民地支配というのはこういうのを言うのですよ。
>かれらインディアンは基本的に豊かな大陸に包まれた怠惰な連中で、ダコタのパインリッジという居留地をクリントン大統領が訪れたとき、
>失業率73パーセントと聞いて驚愕したそうだ。そのくせ保護政策で一時金が至急されると、
>男はキャデラックを買ってしまい、その後ガソリンスタンドで1リットルだけガソリンをくれ、と言う光景を
>良く目にする、とのこと。そうでなければ昼間ッからウイスキーを飲んだくれる。

これって昔白人が黒人に対して言ってたこととそっくりなんですけど・・・

76 :65:02/10/13 01:01
>>75
「先住民政策」は、元々かなり困難なんですよ。
「前提」として、「従来からの暮らし」が「破壊」されているわけですから。
そうなると、「同化」か「保護(隔離)」かになってしまいます。

居留地でも、民族衣装・彫刻などの制作・販売や、カジノの経営とかをしているところも
ありますが、なかなか…。

77 :世界@名無史さん:02/10/13 01:12
>>70
ポテトはラテン・アメリカ発祥だったような。
>>57
>それが日本人とアイヌ人だったら、別の未来が待ってたんだろうね。
こういう関係ない事言うバカが出てくるからどのスレも荒れるんだろうなw
79 :世界@名無史さん:02/10/13 01:18
>>78

あなたが言わなければ・・・

80 :世界@名無史さん:02/10/13 01:25
>>76
カジノ経営はインディアン保護策として認められたもので、
最初はビンゴ程度だったけど今はトランプゲームも盛大にやってる。
でも、成功してるのは大都市に近いところだけで、
経営はマレーシアとかのプロに任せて、インディアンは上がりを取るだけ。
いっその事インディアン居住区を独立させりゃいいんだよ。

・・・でも援助無しには自活できんか。
国境ができた今となっては昔みたいに遊牧生活は無理だな。

今でも広範な自治権が認められていたはず。

独立させると逆に南アフリカみたいな人種隔離施策になっちゃう。
昔から住み着いていたわけではなくて強引に押し込めた過去があるわけだし。

インディアン虐殺問題をあつかった映画に
「ソルジャー・ブルー」というのがありますた。

インディアンとの戦いで、変わっているのは
「ブラボー砦の脱出」
アパッチが実際に行っていた戦法で、弓を砲兵隊の要領で使う。
公開当時のこのシーンを見た人々は、度肝を抜かされたとか‥

ビデオ屋で見かけたら借りてみたら。

84 :世界@名無史さん:02/10/13 08:30

あれだろ、ペンシルバニアのクエーカー教徒だけは、だまし討ちとかじゃなくて
穏健にインディアンと交渉が成立したんだろ。

85 :世界@名無史さん:02/10/13 10:15

インディアン嘘つかないっていうのは
「1つ2つ3つ、それ以上はたくさんだ」
ってある白人が教えて。
他の白人と物を交換するとき
「たくさん欲しい」
「たくさんってどのくらいだ?」
「いやたくさんだ、1,2,3以上はたくさんだろ?インディアン嘘つかない」
って話があるんじゃなかった?

86 :世界@名無史さん:02/10/13 10:41
>>83
詳細キボン>弓を砲兵隊の要領
87 :世界@名無史さん:02/10/13 10:43

ホントか?綺麗な石とかを集めて、袋に詰めて、この個数だけ欲しいって
言えば良いとおもうぞ??数を数えられない民族でも、普通そうやって、
物々交換できると思うが?

88 :世界@名無史さん:02/10/13 14:56
>>87

白人はだますのがウマイ。
もしくはインディアンが馬鹿

89 :65:02/10/13 22:46
>>88
「ウソをつく意味」が理解できなかったのでは。

「【他人を騙す可哀相な輩】なんだから、大目に見てやろう」
とか。

アイヌはそうだったと聞きました。

90 :83:02/10/13 23:47
>>86
映画でやってたのは‥

攻撃目標を槍を持った騎馬インディアンが襲撃、目標の周囲に、
槍を何本も突き立てる。
岩山の反対側に弓を持った集団が待機。
その中の1人が弓を試射し、その矢の落下地点を別の1人が岩陰から観測。
突き立てた槍を、目安にしてその観測係が、ジェスチャーで
弓を射る角度を修正していく。
角度が定まったら、全員で一斉に射る。
これで目標地点に弓矢が、雨のように降り注ぐ事になる。

映画ではアパッチが実際にやっていた事を、どこまで再現しているのか
疑問だが、驚くほど巧妙戦法である事には間違いない。

91 :世界@名無史さん:02/10/21 23:43

軍隊とか警察が部屋に突入するときによくやる無言で指示する手振りって、
もともとインディアンが狩りの時に使っていたのを見て取り入れた、
って聞いたことがある。

92 :世界@名無史さん:02/10/22 04:25
>>46
それ、つい最近の話だろ。
谷口ジローの「天の鷹」だ。
93 :世界@名無史さん:02/10/22 08:17
>>89
インディアンは無文字文化だ。
だから、言葉が神聖なものとなる。族長の言葉はすなわちルール、憲法であり
いったん口に出したことを覆すのは、社会の根本ルールを破壊することと
ほぼ同義になる。
…という文化だった。
だから、ウソをつく、ということができなかった。

以下は与太話になりますが、古事記でヤマトタケルがイズモタケルに
ウソをつきだまし討ちにするエピソードが英雄的であると記述されているが
この時代、日本でもウソをつくという能力は「超能力」扱いだった、のだと
思う。

94 :世界@名無史さん:02/10/23 00:57
>>93

インディアン嘘つかないって結構深い事言ってたのか・・・

95 :世界@名無史さん:02/10/23 01:00

言霊思想ですな。

96 :世界@名無史さん:02/10/23 01:03

ネイティブ・アメリカン

インディアンVSチンギス・ハーン

98 :世界@名無史さん:02/11/05 23:29

age

99 :世界@名無史さん:02/11/05 23:51
>>38
変わりにアラスカを獲得したロシアが南下し、カナダを手中におさめ、
ヨーロッパを席巻し、アメリカが存在しない世界で
ドーバー海峡で封じられた英軍とナチスドイツが制覇した西欧州と
ソ連が東部戦線やカナダでの大戦車戦になっただろうね。
いやー下手したらもっと南下してアメリカ周辺まで露領となって
いたかもね。
100 :世界@名無史さん:02/11/06 06:12

100げと

101 :世界@名無史さん:02/11/12 23:29
もちろん、インディアン対合衆国の戦いは、「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」や
「ジェロニモの猛烈な抵抗」で幕を閉じたわけでも、ウンデッドニーで終わったのでもありません。
1973年の第二次ウンデッドニー事件をご記憶の向きも多いと思います。

ところで、もしも「インディアン」が差別語であるならば、第二次ウンデッドニーを指揮した、戦うインディアン組織、アメリカ・インディアン運動(AIM)は、なんでネイティブ・アメリカン運動(NAM)に改名しないのでしょうか?(つづく)

102 :世界@名無史さん:02/11/12 23:32
(承前)
「インディアン」は差別語で、
「ネイティブ・アメリカン」こそが礼儀にかなった用語だというのは、
重い込み・五階・鞭に基づく謬見でしょうね。

実際には、「ネイティブ・アメリカン」なんて言い方をしたがるのは
非インディアンの陰照源ちゃんで、
合衆国のインディアン自身は「インディアン」と呼ばれることを
そう嫌がっていないようです。
特にリザーベーションに住むインディアンは、
「ネイティブ・アメリカン」よりも
「インディアン」と呼ばれる方を好むという統計があります。(つづく)

103 :世界@名無史さん:02/11/12 23:36
>15
>其れよりNHKの衛星映画劇場の西部劇の字幕で
>「インデアン」ってはっきり発音してるのに
>「先住民」って字幕が出る偽善性のほうが嫌
>なんだすが。
お説、ごもっとも。
来日したインディアンが講演したり、
インディアンが話している場面を日本で放送するとき、
話者自身は自分たちのことを「インディアン」と呼んでいるのに、
通訳や字幕が勝手に「ネイティブ・アメリカン」と言い換える例が
しばしばあります。
まことに失礼な話です。

なお、カナダの先住民は
「ファースト・ネーションズ(First Nations)」という呼称を好み、
南米の先住民には「インディオよりは「インディヘナ(indigena)」と
呼ばれる方がましだと考える人が多いようです。

104 :世界@名無史さん:02/11/12 23:42
>51
>結局、インディアンも元を辿れば侵略者だったんじゃないの?

インディアン自身も侵略者だったというのは、
ある意味で正しいと思いますよ。
イロコイはヒューロンを攻め滅ぼし
デラウエアを従属国の地位に貶めました。
北からアリゾナ方面に侵入してきたナバホやアパッチは、
先住のホピやズニの村々を略奪しました。
そして、18世紀後半から19世紀にかけて大平原に進出したスーは、
先住諸部族を追い出してダコタに居を占め、
さらに、モンタナのクローの土地に食指を伸ばしました。
リトルビッグホーンの戦場となったのも、
もともとはクローの領土でした。(つづく)

2012年5月11日金曜日

ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国


1943年10月6日、ワシントンでナチスのユダヤ人虐殺を糾弾する正統派ユダヤ教徒による集会と行進が挙行された際、ユダヤ教のラビ代表とルーズベルト大統領との会見の調整が試みられたが、ルーズベルトは、こうした会談は国務長官が行なうべきであると判断し、ホワイトハウスを訪れたラビ代表に対して、その到着前に外出し会見を回避する道を選んだのであった。

〈中略〉

 


ワシントンで抗議デモを行なう正統派ユダヤ教徒たち (1943年)

ヒトラーの迫害でたくさんのユダヤ人が犠牲になるなか、
アメリカは救出に何の手も打たなかった。1943年10月6日、
400名を越える正統派ラビがワシントンで抗議デモを行なった。

一行はホワイトハウスに到着し、ルーズベルト大統領に
直訴しようとしたが、大統領は会うのを拒否した。

 

正統派のユダヤ教団体は、ヨーロッパのユダヤ人を脱出させるため、パスポートやビザなどを偽造したが、アメリカのユダヤ人社会の指導者たちはこうした不正な方法に反対し、自国の移民政策に反してまで気の毒な難民に支援の手を差し伸べる気はなかった。

とりわけ、ポーランドで救援を待ち望む聖なるユダヤ教学者を救うことこそ、何ものにも優先すべきとする正統派ユダヤ教団体と、アメリカ国内世論の動向に神経質なスティーブン・ワイズら米国ユダヤ人社会の指導者たちの対立は深刻であった。

例えば、1940年8月初めにアメリカの主要ユダヤ人団体が参加した会議で、正統派のラビ(ユダヤ教指導者)たちは、リトアニアから3500人のラビ、学生たちを入国させるための特別ビザを発給できるよう国務省に圧力をかけて欲しいと要請したが、スティーブン・ワイズらは、これほど多数のユダヤ人を定住させることは容易ではないとして、アメリカ政府に圧力をかけることに反対したのである。

アメリカのシオニスト運動指導者たちは、ホロコーストの間もパレスチナに将来のユダヤ人国家を建設する計画に精力を傾けており、ヨーロッパのユダヤ人の救済は二の次であった。」

 


スティーブン・ワイズ博士

彼はアメリカのユダヤ指導者階級の
中心人物のみならず、全世界のユダヤ人の
指導者ともいうべき人だった。ルーズベルト大統領の
ブレーンの中でも随一であり、大統領ある所には、
必ず影のように彼がついていたと評され、その
政策を左右する実力を持っていた。

このワイズ博士ら米国ユダヤ人社会の
指導者たちと、正統派ユダヤ教団体
の対立は深刻であったという。

 

●アメリカの孤立主義の指導的代表者だったハミルトン・フィッシュ(元下院議員)は、著書『日米・開戦の悲劇 ─ 誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP文庫)の中で、「ルーズベルトはユダヤ難民に無関心だった」と告発している。

少し長くなるが、参考までに紹介しておきたい。

 

 
(左)ハミルトン・フィッシュ (右)彼の著書
『日米・開戦の悲劇』(PHP文庫)

… ハミルトン・フィッシュの略歴 …

ハーバード大学を卒業し、第一次世界大戦に
従軍の後、1919年、米国下院議員に選出され、
1945年まで12回にわたり選出される(共和党員)。
アメリカの孤立主義の指導的代表者であり、ルーズベルト
大統領の外交政策を鋭く批判した。1991年没。

 

「1942年の初めに、私はヒトラーの非人道的な人種差別政策と、ドイツ、ポーランドにおける、何百万人にものぼるユダヤ人の虐殺を非難する決議案を議会に提出した。

これに対して、国務省はよくわからない理由から、虐殺について何も知らないと主張して、全世界の国々にユダヤ人に対する残虐な虐殺に反対するよう呼びかけようという私の提案の採択を妨害したのだった。その時には、ヨーロッパ中の国が、すでにヨーロッパのユダヤ人に対する残忍な虐殺を知っていたのだ。

しかるに、ルーズベルトの国務省は、説明のつかぬ、わけのわからぬ理由で私の提案に反対したのだった。」

「ユダヤ人のベン・ヘクトは、その自伝の中で、次のように述べている。

『ルーズベルト大統領が、ユダヤ人の虐殺を防ぐ人道主義のために、指一本上げなかったこと、ユダヤ人の置かれた境遇に対して消極的なコメントを繰り返したこと、史上最悪の大虐殺に対し無関心だったことは──』理解し難い。

ベン・ヘクトは、続けて、『ルーズベルトの首席秘書官でユダヤ系のデビット・ニイルズから、大統領はドイツのユダヤ人殺戮を非難するような演説や声明を発表したりしないだろう、ということを知らされた』とも書いている。

我々は、ベン・ヘクトの勇気のみならず、彼のこの問題に対する先見性を高く評価しなければならない。

彼は『次の事件』と題された、一幕物の劇を完成しようとしていた。

それは、ルーズベルト大統領が歴史の証言台の前に立たされ、お前はユダヤ人を救うために何をしたのかを述べさせられるのである。そしてナチの火葬場から蘇った12人のユダヤ人が、事件を裁く陪審員を務めるのだ。

ベン・ヘクトはビバリーヒルズ・ホテルで、この原稿を書き終えた時、ちょうど、ルーズベルトの死が発表されたのを、ラジオで聞いたのだった。

私は、ベン・ヘクトを心から尊敬する。

彼は、『ルーズベルト大統領は世界中の人々と、中立国であろうとなかろうと、すべての国に対し、ナチス政権(ヒトラー)にその絶滅政策を止めるよう要求する、人道的なアピールを行なうべきであり、さもなくば全世界が道徳的汚名に苦しむことになる』と主張するだけの、先見の明と勇気を持ち合わせていたのである。

もしホワイトハウスから、そのような声明がはっきりと発表されていたならば、ヒトラーの誇大妄想を止められたかもしれないし、少なくとも、ヒトラーの残虐さについて、おそらく全く知らないドイツ、ポーランド国民に、真相を教えることができたであろう。

〈中略〉

1943年の初めには、世界中のすべての国と政府が、ヒトラーのユダヤ人撲滅政策を知っていた。

ルーズベルト大統領と国務省は、恐るべき虐殺行為を容赦なく世界の耳目に曝(さら)すべきであったのだ。そして、すべての連合国と中立国に対し、国際法と人道にもとる、無防備の人種的、宗教的少数派を絶滅させようとする恥ずべき政策を止めさせるために、ヒトラーとナチス・ドイツに公的に影響力を行使するよう要請すべきであった。」

 

 


 

■■第6章:不発に終わった「バミューダ会議」(1943年)


●1942年1月、ロンドンの聖ジェームス宮で、ヨーロッパ17ヶ国の亡命政府の会議が催された時、ルクセンブルク代表を除いて、ユダヤ人虐殺をテーマに取り挙げた者はいなかった。また、その時の共同声明の中にも、ユダヤ人に対するナチスの犯罪を断罪する言葉は全く見られなかった。

連合国側の態度に憤慨した在ロンドンのポーランド亡命政府は『デイリー・テレグラフ』紙に声明文を載せ、ポーランドでユダヤ人がいかなる試練を受けているかを詳細に訴えた。一般の人々が真のユダヤ人迫害の凄惨な事実を知らされたのは、これが初めてだったと言われている。


●イギリスやアメリカでぼつぼつ市民大会が催されるようになったが、ナチスのユダヤ人迫害に対する批判が世論の形をとって起こったのは1942年も終りに近い頃、つまり、ナチスがユダヤ人迫害を開始してから10年目を迎えようという頃であった。

その時でさえイギリス政府は乗り気ではなく、(第4章で触れたように)アンソニー・イーデン外相はその年の12月の半ばに至って、ようやく下院でポーランドや東ヨーロッパで行なわれているユダヤ人迫害についての報告をした。「ヒトラー政権はどう見てもユダヤ民族を、ヨーロッパから駆逐するというかつての宣言を実行しているとしか考えられない」と。

でも、それでもなお、具体的にユダヤ人救済にはどうすればいいかという討議や、ナチスの残虐行為に対して制裁とか威嚇を検討するといったようなことは起こらなかった。